どののお立廻りになられる個所を手前の記憶している限り、いちいち人を遣わして念のために問い合せましたのでござりますが、どこにもお出廻りなさった形跡がござりませぬゆえ、どうした事かと同役共々に心痛している次第にござります」
「ほほう、それゆえわしの留守宅にも、問い合せのお使いが参ったのじゃな。では、念のためにそれなる往来へおちていたとか言う二品を一見致そうぞ。みせい」
 手に取りあげて見調べていましたが、脇差はとにかくとして、不審を打たれたものは手紙の裏に小さく書かれてあった、菊――と言う女文字です。
「はてな――?」
 愛妹の菊路ではないかと思われましたので、ばらりと中味を押しひらいて見ると、取急いだらしい短い文言が次のごとくに書かれてありました。

「――大事|出来《しゅったい》、この状御覧次第、至急御越し下され度、御待ちあげまいらせ候。―― 菊路」

 いぶかりながら、しげしげと見眺めていましたが、ふと不審の湧いたのはその筆蹟でした。妹菊路は彼自身も言葉を添えてたしかにお家流を習わした筈なのに、手紙の文字は似てもつかぬ金釘流の稚筆だったからです。のみならず展《の》べ紙の左|端《はし》に、何やら、べっとりと油じみた汚《し》みのあとがありましたので、試みにその匂いを嗅いでみると、これが浅ましい事にはあまり上等でない梅花香の汚《し》みでした。菊路が好んで用いる髪の油は、もっと高貴な香を放つ白夢香の筈でしたから、退屈男の両眼がらんらんとして異様な輝きを帯びたかと見るまに、鋭い言葉が断ずるごとくに吐かれました。
「馬鹿者達めがッ。にせの手紙を使ったな」
 途端――。
「御門番どの、只今帰りましてござります。おあけ下されませい」
 言う声と共に、番士があたふたと駈け出していった容子でしたが、御門を開けられると同時に、不審な一挺の空駕籠が邸内に運び入れられたので、当然退屈男の鋭い眼が探るごとくに注がれました。
 と――、これがいかにも奇態なのです。金鋲《きんびょう》打った飾り駕籠に不審はなかったが、いぶかしいのは赤い提灯そのものです。焼けて骨ばかりになったのが、もう一つ棒鼻の先に掛かっているところを見ると、出先でその新しい方を借りてでも来たらしく思われますが、奇態なことにその提灯の紋所《もんどころ》が、大名屋敷や武家屋敷なぞに見られる紋とはあまりにも縁の遠い、丸に丁と言う文字を
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