んのにおいがするじゃござんせんかい」
「だから不思議だといってるんだ。飛びこんできたのは、りっぱな男のお侍だよ。それだのに、持ってきたこの紙には、れっきとした女の移り香が残っているんだ。しかも、この手跡をみろい。見取りの図面はめっぽうまずいが、ところどころへ書き込んである字は、このとおりめっぽううまいお家流の女文字だ。さてはこいつ、手数がかかるなと眼《がん》がついたればこそ、考えこんでもいたんじゃねえか。気をつけろい。やぶいりやっこめ、おいら、同じこたつにあたっても、ただあたっているんじゃねえやい。とっととしたくしな」
「ウへへ……うれしいね。しかられて喜んでいやがらあ。このやぶいりやっこめ、気をつけろいときたもんだ。へえ、帯でござんす。お召しものでござんす。――気をつけろい、ときたもんだ。おいら同じ雪駄《せった》をはくにしても、ただはくんじゃねえやい。へえ、おはきもの! おぞうり、雪駄、お次は駕籠《かご》とござい……」
「どこにいるんだ。まだ駕籠屋来ねえじゃねえかよ」
「おっと、いけねえ。呼びに行くのを忘れちまったんだ。めんどうくせえ。行ったつもりで、来たつもりで、乗ったつもりで、あそこまで歩いていっておくんなさいましよ。――いい天気だね。たまらねえな。小春日や……小春日や……伝六女にしてみてえ、とはどうでござんす……」
 行くほどに、急ぐほどに、町はやぶいり、日はぽかぽかびより、――湯島のあたり突く羽子の音がのどかにさえて、江戸はまたなき新春《にいはる》でした。

     2

 絵図面どおりに、引祥寺のわきから小道を折れて、加賀家裏門の前までいってみると、あたりいっぱいの人にかこまれて、なるほどその裏門の左手前に、新しいこもをかぶった長い姿がころがっているのです。
 しかし、出張っているのはもよりの自身番の小役人が三人きりで、加賀家のものらしい姿はひとりも見えないのでした。
「ちと変じゃな。ずっとはじめから、おまえらだけか」
「そうでござります。加州さまのかたがたは顔もみせませぬ。知らせがあって駆けつけてから、わたくしどもばかりでござります」
 不思議というのほかはない。変死人の素姓身分はどうあろうとも、たとい路傍の人であろうとも、このとおり屋敷の近くに怪しい死体がころがっているとしたら、せめて小者のひとりふたり、見張らせておくがあたりまえなのです。ましてや
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