す。だんなさま」
 にこやかに笑って、あいそのいい応対ぶり、さながらにすべすべとしたぬれ岩をでもつかむようでした。
「ふふん。しようがねえや……」
 不思議です。
 なんと思ったか、とつぜん名人が吐き出すようにつぶやいたかと思うと、にやにや笑いながら、さっさと店を引きあげました。

     4

「ま、ま、待っておくんなさい! なにとぼけたまねをするんです! どんどん行って、どこへ行くんですかよ」
 おどろいたのは、いつもながらの伝六です。
「またなにかいやがらせをするんですかい」
「アハハ……」
「アハハじゃねえですよ。根が切れた、つるが切れた、詮議《せんぎ》の糸がなくなったらなくなったと、正直にいやいいんだ。てれかくしに笑ったって、そんなバカ笑いにごまかされるあっしじゃねえんですよ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑《もくず》をあばいてやらあと、たいそうもなくりっぱな口をおききでしたが、ぱんぱんはどこへいったんです。藻屑はどこへ流れたんですかよ」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえ、だんな! これがうるさかったら、伝六はめしの食いあげになるんだ。出のわるいところてんじゃあるめえし、出しかけてやめるたア何がなんですかよ。しらべかけて逃げだすたア何がおっかねえんですかよ。お竹とかいったあの娘に、ぽうときたんですかい」
「がんがんとやかましいやつだな。あのおやじがホシだ、くせえとにらんだ目に狂いはねえんだ。ねえけれども、おやじもおやじ、娘も娘、ああいうのが吟味ずれというんだよ。すべすべぬらぬらとしゃべりやがって、あんな親子をいくら締めあげたってもむだぼねなんだから、あっさり引きあげたんだ。手をまちがえたのよ、手をな」
「手とね。はてね……」
「わからねえのかい。ああいうやつには、動かぬ証拠をつきつけて責めたてるよりほかには手がねえんだ。その手をまちがえたというんだよ。とんだ忘れものさ。むっつり流十八番|桂馬《けいま》飛びという珍手を忘れていたはずだが、おまえさん心当たりはないかえ」
「さあ、いけねえ。食い物のことじゃござんすまいね。そのほうならば、ずいぶんとこれで知恵は回るんだが……」
「ドスだよ」
「へ……?」
「ぎっちょの梅五郎が豊太をえぐったあの匕首《あいくち》なんだ。刃物の持ち込み、出し入れのきびしいお牢屋だ。どこのどやつが梅五郎のところへ届けたか、肝心かなめ、
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