まするが、まずこの色では日本一とうぬぼれているんでござります。しいてまねができるものといえば、弟子《でし》の栄五郎が少しばかりやるくらいのものですよ」
「なにッ。弟子がやるか! その栄五郎とやらは、いくつぐらいだ」
「二十八でござります」
「女は好きか!」
「さよう、きらいなほうじゃござんすまいね。ちょくちょく呼び出し状が舞い込んできたり、よる夜中、こっそり女が表へ会いに来たりしますからね。まず人並みに好きでしょうよ」
「姿が見えぬようだが、どこへ行った!」
「それが少しおかしんですよ。一昨晩、さよう、たしかにおとついの夕がたでござんした。だれからのものか、いつものような呼び出し状が届きましてね、こそこそと出ていった様子でしたが、一刻ほどたってから、何がうれしいのか、にやにややって帰ってくると、そのままおおはしゃぎで念入りにおめかしをしてから、ふらりとまたどこかへ出ていったきり、いまだに帰ってこないんですよ」
きらりと名人の目が鋭く光りました。つるにつるが新しくはえてきたのです。
「居間はどこだ」
「下でござります」
「案内しろ」
玄関わきの六畳へはいっていくと同時に、名人の目は、はしなくもその小机の上に止まりました。不思議やな、小机の上には幾本かの扇子が束になって置かれてあるのです。筆もある。絵の具ざらもある。絵心のないものに彫りはできないのであるから、絵筆絵の具に不思議はないが、束にしておいてある扇子がいかにも不審なのです。
「おやじ、栄五郎は下絵がうまいか」
「うまい段じゃござんせぬ。絵かきになるつもりで修業をしているうちに、ふいっと彫り物がやってみたくなりましてこの道へはいったんでございますから、玄人はだしの絵をかきますよ」
「よしよし。何か眼がつくだろう。あざやかなところをお目にかけようぜ」
取りあげてその扇子を開いてみると、なぞのような絵となぞのような字がかかれてあるのでした。絵は咲きみだれた小菊、すみに小さく両国新花屋と見えるのです。しかも一本だけではない。五十本ほどの扇子のほとんど半数に、同じその絵その文字が見えました。同時です。
「伝六、駕籠《かご》だッ」
「ちぇッ、たまらねえね。行く先ゃどこですかい。こないだは箱根へとっぱしったが、今度は奥州|仙台《せんだい》石巻《いしのまき》とでもしゃれるんですかい」
「両国の新花屋だよ」
「新花屋! は
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