たことでした。
「このとおり調べは悉皆《しっかい》つきました。たどるべき手がかりの道も二つござる。これなる判じ文《ぶみ》を頼りに女の足取りをされてもよい。あるいはまた、亭主の申し条によって、女の行くえを追跡されてもよい。判じ文を唯一の手がかりとなさるならば、貴殿のお知恵によって、絵のところに待っているという三つ刺したくしだんごはいずれの地名か、それをお判じなすってお出かけなさることだ。それとも、亭主の申し条をたよりに足取り追われるならば、乗せていった駕籠宿伊予源から洗いはじめて、たしかに浅草へ願かけにいったかどうか、いったならばそれから先どこへ飛んだか、黄八丈、銀かんざし、黒|繻子《じゅす》帯の女を目あてにびしびしとお洗いたてなさることだ。しかし、いずれにしても女の黒幕には、これなる判じ文でもわかるとおり、男がついておりまするぞ。女の路銀は三両しかござらぬが、男がいるとすればこれに用意があると見なければなりませぬ。さすれば、存外と遠走っているやもしれぬし、もしも浅草あたりへ潜伏したとすれば、この女、なかなかのしたたか者じゃ。その証拠は、これなる守り札の不始末でもわかるはず。尊いお品をこのようなよごれものといっしょに投げ込んでおきますようでは、心がけのほどもまずまずあまり上等ではござらぬゆえ、逃げ隠れたところも、ばくち宿か、あばずれ者の根城か、いずれにいたせあまり感心のできる場所ではござるまい。ただ一つ、特に胸にたたんでおかねばならぬことは、この紙片に見える、こっちがあぶなくなった、とある一句でござる。右左、どの道をたどって女の跡を追うにしても、道の奥に壁、突き当たったその壁の奥になお道があることをお覚悟してかかるが肝心じゃ。てまえは、そなたがお選みなすった残りでよろしゅうござる。こうなれば急ぐが第一、貴殿、いずれをお取りじゃ」
 これには敬四郎、はたと当惑したにちがいない。両方ひとり占めにしたいはやまやまだが、そうすればまた詮議《せんぎ》追跡申しぶんがないが、そもそも二つの道をかぎ出し、探り出し、切り開いてくれたのは、自分ではない、同役右門なのです。しかも、みずからはあとでよい、残りでよいと、公明正大に出られては、あば敬たる者いささかまごつかざるをえないのです。
「えへへ。さあ、おもしれえや。どっちを取るか、腕の分かれめ、てがらのわかれめ、いいや、道のとり方によっちゃ、知恵の浅い深いがおのずとわかることになるんだからね。どうですえ? 敬だんな。右門のだんなは気が長くとも、あっしゃ気がみじけえんだ。早いところどっちかにお決めなさいよ」
 せきたてる伝六をいまいましげににらめつけながら考え惑っていたが、手下の直九、弥太松ふたりに目まぜを送って、さっと立ち上がると、吐き出すようにいいました。
「浅草へ行くわい! かってにせい!」
「えへへ。すうっとしやがったね。浅草へ行くわい、かってにせいがいいじゃござんせんか。くしだんごのところへ行きたくも、あば敬にゃこの判じ絵がかいもく見当がつかねえんですよ。知恵はふんだんに用意しておくものさあ。すっかりうれしくなりやがった。こうなりゃもう遠慮はいらねえんだからね。さあ、出かけましょうよ」
 必死になって駆けだしていった敬四郎たちを見ながめながら、ひとりで伝六が悦に入って促したのを、
「大口たたくもんじゃないよ」
 静かにしたくをしながら、名人がやんわりと一本くぎをさしました。
「偉そうな口をおききだが、そういうおまえはどうだい。みごとにこれがわかるかよ」
「へ……?」
「このくしだんごのなぞが、おまえさんにおわかりか、といってきいてるんだよ」
「バカにおしなさんな、こんなものぐれえわからなくてどうするんですかい[#「どうするんですかい」は底本では「どうするですかい」]。まさにまさしく、こりゃ墨田の言問《こととい》ですよ」
「偉い! 偉いね。おまえにしちゃ大できだが、どうしてまたこのだんごを言問と判じたんだよ」
「つがもねえ。お江戸にだんご屋は何軒あるか知らねえが、どこのだんごでも一くしの数は五つと決まっているのに、言問だんごばかりゃ昔から三つと限っているんだ。だから、この絵のところへ来いとあるからにゃ、墨田の言問へ来いとのなぞに決まっているんですよ。どんなもんです。違いましたかね」
「偉い! 偉い! 食い意地が張ってるだけに、食べもののことになると、なかなかおまえさん細っかいよ」
「えへへ。いえ、なに、べつにそれほど細かいわけでもねえんだがね。じつあ、六、七年まえに、いっぺんあそこで食ったことがあってね、そのときやっぱり三つしきゃ刺してなかったんで、ちくしょうめ、なんてけちなだんごだろうと、いまだに忘れずにいるんですよ。べらぼうめ、さあ来いだ。食いものの恨みゃ一生涯忘れねえというぐれえなんだからね。言問とことが決まりゃ、七年めえからのかたきをいっぺんに討つんだ。駕籠屋《かごや》駕籠屋。墨田までとっぱしるんだよ」
 せきたてて名人ともども、待たしておいた御用駕籠に飛び乗ると、まことに食べものの恨みたるやそら恐ろしいくらいです。七年まえのだんごのかたきを伝六は捕物《とりもの》で晴らすつもりか、雨の道をもものともせずに、ここをせんどと急がせました。

     3

 川は長雨に水かさを増して、岸を洗う大波小波、青葉に茂る並み木の土手を洗いながら、雨はまた雨で墨田のふぜいなかなかに侮りがたい趣でした。
 駕籠をすてて、言問までは渡し。
「名物、だんご召し上がっていらっしゃいまし」
「雨でご難渋でござりましょう。一服休んでいらっしゃいまし」
 赤い前だれをちらちらさせて、並み木茶屋の店先から涼しげに客を呼ぶ娘の声が透きとおるようです。
「わるくないね。あれが言問だんごですよ。娘もべっぴんどもじゃないですかい。――許せよ」
 伝六、殿さま気どりで、許せよといったもんだ。しかし、はいりかけてひょいと見ると、いぶかしいことには、茶屋のその店先の人目につきやすいところに、巡礼笠《じゅんれいがさ》が二つ、何かのなぞのごとくにかかっているのです。
 坂東三十三カ所巡礼、同行二人と、あまりじょうずでない字でかいて、笠は二つともにまだ一度もかぶったことのない真新しいものなのでした。
「はてね。ちくしょう、だんご茶屋にゃ用もねえものがありますぜ」
 伝六にすらも不思議に思われたものが、名人の目に止まらないというはずはない。つるしてあるのも不審なら、新しいところも奇怪、しかも笠の主の巡礼は、どこにもいるけはいがないのです。――きらりと光った目の色をかくして、ほのかな微笑をたたえながらはいっていくと、物柔らかな声とともに赤前だれの娘に問いかけました。
「雨で客足がのうていけませぬな。あの笠は?」
「あれは、あの……」
「おうちのものか」
「いいえ、あの、闇男《やみおとこ》屋敷の七造さまがお掛けになっていったものでござります」
「なにッ、不思議なことをいうたが、今のその闇男屋敷とやらはなんのことじゃ!」
「ま! だんなさまとしたことが、向島《むこうじま》へお越しになって闇男屋敷のおうわさ、ご存じないとは笑われまするよ。ここからは土手を一本道の小梅へ下ったお賄《まかな》い長屋に、市崎《いちざき》友次郎さまとおっしゃるお旗本がござりまするが、そのお組屋敷のことでござります」
「なぜそのような名がついたのじゃ」
「それが気味のわるい。なんでも人のうわさによりますとな、ご主人の友次郎というは、お直参はお直参でも二百石になるかならずのご小身で、お城の賄《まかな》い方にお勤めとやら聞いておりましたが、ついこのひと月ほどまえから、まだ二十五、六のお若い身そらでござりますのに、奇妙な病に取りつかれまして、なんでも昼日中お出歩きなさりまするとそのご病気が――」
「決まって出ると申すか」
「そうなんでござります。お年も若くて、まだおひとり身で、このあたりまでもひびいたご美男のお殿さまでござりますのに、どうしたということやら、日のめにお会いあそばすと、にわかにからだが震えだすのじゃそうでござります。それゆえもうお勤めも引き下がり、昼日中はまっくらなお納戸《なんど》へ閉じこもったきりで、お出歩きは夜ばかり、明るいうちはひと足も外へお出ましにならず、このひと月あまりというものは友次郎さまのお姿も見たものがござりませぬゆえ、だれいうとなく闇男じゃ、闇男屋敷じゃといいだしたのでござります」
 奇怪だ!
 じつに奇怪なうわさだ!
 日に当たると震いだすという男!
 日中もまっくらな納戸べやに閉じこもって、人に姿を見せぬという男!
 しかも、奇妙なその病気にかかるまえまでは、年も若くて、ひとり身で、このあたりまでも評判の美男旗本だったというのです。
「いやだね。青っちろい顔をして、ひょろひょろになりながら、くらやみばかりに生きておる男の顔を思い出すと、ぞーっとすらあ。昔からある日陰男ってえいうのは、きっとそれですよ。何かつきものでもしたにちげえねえですぜ」
 物知り顔にさっそくもう始めた伝六をしりめにかけながら、ずかずかはいっていくと、
「奥を借りるぞ」
 何思ったか、不意に言い捨てて、どんどん奥座敷へ通りながら名人は、そのままごろりと横になりました。
「またそれだ。きょうばかりゃゆうちょうに構えている場合じゃねえんですよ。あば敬と張りあってるんだ。まごまごしてりゃ、今度こそほんとうにてがらをとられちまうじゃねえですかよ」
「…………」
「ね! ちょっと! いらいらするな。ホシゃ七造だ。あの巡礼笠の主の七造めがどこへうせたか、はええところ見当をつけなくちゃならねえんですよ。あごなんぞいつでもなでられるんだ。勇ましくぱっぱっと起きなせえよ!」
「うるさい。黙ってろ。その七造を待っているんじゃねえか。七年まえの恨みがあるとかいったはずだ。だんごでも食いなよ」
「え……?」
「えじゃないよ、何かといえばすぐにがんがんやりだして、のぼせが出るじゃねえか。下男だか若党だか知らねえが、その七造が判じ絵文《えぶみ》の書き手、おくにの誘い手、ふたりでいち早く巡礼に化けてからどこかへ高飛びしようと来てみたのが、道行き相手のおくにめがまだ姿を見せねえので、あの笠を目じるしに掛けておきながら、浅草へでも捜しがてら迎えに行ったんだよ。闇男屋敷とやらにも必ず何かひっかかりがあるにちげえねえ。いいや、気になるのはその浅草だ。あば敬の親方、へまをやって、女も野郎もいっしょに取り逃がしたかもしれねえから、むだ鳴りするひまがあったら、ひとっ走り川を渡って様子を見にでもいってきなよ」
「ちぇッ。うれしいことになりやがったね。事がそうと決まりゃ、たちまちこの男、ごきげんが直るんだから、われながら自慢してやりてえんだ。べらぼうめ。舟の中で恨みを晴らしてやらあ。ねえさん! だんごを五、六本もらっていくぜ」
 つかみとってくしごと横にくわえると、気も早いが舟も早い。道がまた言問から浅草までへは目と鼻の近さなのです。
 ギー、ギー、ギーと急いでいった早櫓《はやろ》が、まもなく、ギー、ギー、ギーと急いでこいでもどってきたかと思うと、
「いけねえ! いけねえ!」
 声から先に飛び込みました。
「おそかった! おそかった! だんな、やられましたよ!」
「なにッ。ふたりとも逃がしたか!」
「いいえね、女が、女が、おくにめがね」
「おくにがどうしたんだよ」
「仁王門《におうもん》の前でばっさり――」
「切り口は!」
「袈裟《けさ》だ!」
「敬大将は!」
「まごまごしているばかりで、からきし物の役にゃたたねえんですよ」
 伝六、出がけにつかんでいったくしだんごをまだ食べているのです。
「袈裟がけならば、切り手は二本差しだな」
「へ……?」
「黙って食ってりゃいいんだよ。道の奥にゃ突き当たりの壁があるといっておいたが、案の定これだ。追いかけた肝心のおくにが、死人に口なしにかたづけられておったとあっちゃ、敬だんな、さぞやしょげきっていたろうな」
「ええ、もう、歯を食いしばっちゃ、ぽろり、ぽろりとね」

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