何を急いでおるのか、あたふたと駕籠を気張って出かけましたようでござります」
「その駕籠はどこで雇うたか」
「黒門町手前の伊予源《いよげん》と申しまする駕籠宿からでござります」
「顔だちは? べっぴんか」
「さよう、べっぴんというにはちと縁が遠うござりましょうかな」
「持ち物は?」
「何一つ持たずに、手ぶらでござりました」
「路銀は、いや、金はどのくらい所持しておったかわからぬか」
「きのうがちょうど宿払いの勘定日でござりましたゆえ、きんちゃくの中までもよく存じておりまするが、てまえがたの入費を支払ったあと、まるまるまだ三両ばかり残っておりましてござります」
「男なぞの出入りした様子はないか」
「少しも!」
「しかとさようか」
「なれなれしげに男と話をしていたところさえ見たことがござりませぬ。まして、ここへ男なぞ呼び入れたことは、ついぞ一度もござりませぬ」
「よし。では、くにの荷物、残らずこれへ取り出せい」
さし出したのは手梱《てこおり》が一つ、ふろしき包みが一個、孫太郎虫呼び商いの薬箱が一つ。
まず梱から手初めに調べました。着替えが二枚、帯が二筋、それっきりでした。しかも、共にたいした品ではない。亭主の申し立てによると、衣装髪のものに金をかける伊達女といったが、残った品から判断すると、どうやら出かけたときの服装が第一の晴れ着らしいのです――。これは考えようによってこの場合、いろいろのいみを持つ重要なネタでした。晴れ着に装って、このとおりふだん着はじめ手まわりの品々をそっくり残していったところから判断すると、用を足してまたここへ帰ってくるつもりらしくも思われるのです。反対にまた、これらの品々を未練なく捨てておいて、たいせつな晴れ着だけ着用しながら、二度とここへ舞いもどらぬ決心のもとに高飛びしたかとも判定されるのです。
名人の眼光は、しだいに烱々《けいけい》と輝きを増しました。こういう頭脳の推断を必要とするネタ調べになると、むっつり流|眼《がん》のさえは天下独歩、まね手もない、比類もない。
さらに要領を得ないもののごとく、いともぼうぜんとして手をこまねいている敬四郎を、じろり、じろりと、微笑とともに見ながめながら、次のふろしき包みの精査に取りかかりました。
しかし、出てきたものは、いずれも着古したよごれ物、ぼろ切ればかりなのです。きたない手ぬぐいが三本、破れた手甲、脚絆《きゃはん》、それから尾籠《びろう》このうえない女のはだ着……。
「こいつあおどろいたね。この入梅どきだ、よくきのこがはえなかったもんですよ」
「黙ってろ」
「へ……?」
「敬四郎どのと立ち会いのたいせつな吟味だ。おまえなんぞの出る幕ではないよ」
でしゃばり伝六、横からでしゃばりかけたのを一言のもとにたしなめながら、さらに名人は丹念に見調べました。はねのけてははねのけて調べていくと、ぱらり、下へ散ったものがある。水天宮さまのが一枚、蛸薬師《たこやくし》のが一枚、浅草観音のが一枚、お祖師さまのが一枚。どれももったいなや、お守り札なのです。――これもまた考えようによってははなはだ重要なネタの一つでした。諸々ほうぼうの護符があるところを見ると、よほどの信心家であるようにも推断されるのです。しかし、その尊いお札がこのようなむさくるしいよごれものの中へ、むぞうさに投げ込んであるところから察すると、必ずしもそうではない、ややもすれば人のひとりふたり、殺しかねまじい女とも考えられるのでした。
名人の目はいよいよ光を増すと同時に、最後の遺留品たる商売道具の小箱に手がかかりました。
あけてみると、孫太郎虫の黒焼きが三十五、六ほどあるのです。それっきりで、ほかには何もない。――いや、ないと思われたのに、さかさにしながら振ってみると、ぽろッ、落ちたひと品が目を射ぬきました。
くるくると丸めた小さなかんぜんよりです。丸めてあるところから判断すれば、あけてみて、そのままこの小箱の中へ投げ込んでおいたことが明らかでした。
「そろそろにおうてきましたな」
開いてみると、不思議なものが書いてあるのです。
「こっちがあぶなくなった。すぐに出かけろ。下の絵のところで待っている」
まさしく男の走り書きで、下の絵のところというその絵なるものは、なんともいぶかしいことに、だんごを三つくしへ[#「くしへ」は底本では「ぐしへ」]重ね刺しに刺した怪しげな絵模様でした。
くしだんご! くしだんご!
三つ刺したくしだんご!
いうまでもなく判じ絵です。しかも、宿の亭主は、ひとりも出入りした男はないと言明しているのに、奇怪なその紙片に見える手跡文句は、たしかに男なのです。――きらり、名人の目が鋭く光ったかと思うと、おもむろに向き直って、虚心|坦懐《たんかい》、なんのわだかまりもなく敬四郎にいっ
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