右門捕物帖
開運女人地蔵
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)小唄《こうた》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)寺社|奉行所《ぶぎょうしょ》

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(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
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 その第二十九番てがらです……。
 事の起きたのは四月初め。――もう春も深い。
 小唄《こうた》にも、浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙《ちょき》船影淡く、水にうつろうえり足は、紅の色香もなんじゃやら、エエまあ憎らしいあだ姿、という穏やかでないのがあるとおり、江戸も四月の声をきくとまず水からふぜいが咲いて、深川あたり大川の里、女もそろそろ色づくが、四月はまた仏にも縁が深い。――花御堂《はなみどう》の灌仏会《かんぶつえ》、お釈迦《しゃか》さまも裸になって、善男善女が浮かれだして、赤い信女がこっそり寺の庫裡《くり》へ消えて、数珠《じゅず》と杯を両手の生き仏から怪しい引導を渡されるのもこの月にしばしば聞くうわさの一つです。
 朝、あけてまだ日も上がらないうちでした。その仏に縁の多い寺社|奉行所《ぶぎょうしょ》から、不意に不思議なお差し紙が、名人の寝床へ訪れました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「当奉行所にては手に余る珍事|出来《しゅったい》いたし候《そうろう》あいだ、ぜひにお力添え願いたく、右折り入って申し入り候。
[#ここから1字下げ]
深川興照寺にて、一昨夜石仏六基盗難に会い候ところ、今朝にいたり永代橋上に右六基とも捨てある由、同寺より届けいでこれあり候《そうら》えども、いささか不審にたえざる節々これあり候えば、火急にご詮議《せんぎ》くだされたく、南町奉行所のほうへは当所よりしかるべくごあいさついたしおくべく候あいだ、その儀ご懸念これなく、即刻ご出馬願い入り侯」
[#ここで字下げ終わり]
 そういうお差し紙でした。
「茶にしたことをいってきたね」
 伸び上がりながら、拾い読みをして、さっそく音をあげたのは伝六です。
「品が違うんだ、品がね。どうせおすけだちをお願い申すんだったら、もっとしゃれた話を持ち込みゃいいのに、たわいもねえことをぎょうさんに騒ぎたてて珍事出来が聞いてあきれるじゃござんせんか。なくなったしろものが出てきたんだったら、橋の上にあろうと、うなぎ屋の二階にあろうと、めでたしめでたしでけっこう話ア済んでいるんだからね。まさかにお出かけなさるんじゃありますまいね」
「…………」
「え! ちょっと!――やりきれねえな、行くんですかい」
「…………」
「ね! ちょっと! 品が違うんですよ、品がね。寺社奉行所にだって人足アいくらでもあるんだからね。越後《えちご》から米つきに頼まれたんじゃあるめえし、こんなちゃちな詮議にのこのことお出ましになりゃ、貫禄《かんろく》がなくなりますよ、貫禄がね。――え! だんな! ね、ちょっと!――かなわねえな。やけに急いでおしたくをしていらっしゃいますが、まさかにお出かけになるんじゃありますまいね」
 しかし、名人右門の考え方は、おのずからまた別でした。なるほど、伝六のいうとおり、お差し紙の文面に現われたあな(事件)そのものはまことにたわいのなさそうなことではあるが、係り違いの寺社奉行所から特に出馬を懇請してきたところに味があるのです。
「はええところ、しりっぱしょりでもやりなよ」
「へ……?」
「行くんだよ」
「あきれたね。お江戸名代はいろいろあれど、知恵伊豆様にむっつり右門、この名物があるうちは、八百八町高まくらってえいうはやり歌があるくれえじゃござんせんか、虫のせいでお出ましなさるなら悪止めしやしませんが、江戸に名代のそのだんながお安くひょこひょこと飛び出して、あとでかれこれ文句をおっしゃったって、あっしゃ知りませんぜ」
「うるせえやッ」
「へえへ……おわるうござんした。行きますよ。えええ、参りますとも! どうせあっしゃうるせえ野郎なんだからね。じゃまになるとおっしゃるならば、あごをはずしてでも、口に封印してでもめえりますがね、ものにゃけじめってえものがあるんだ。買って出て男の上がるときと、でしゃばって顔のすたるときとあるんだからねえ。それをいうんですよ、それをね。ましてや、相手は石仏なんだ。ものを一ついうじゃなし、あいきょう笑い一つするじゃなし、――えッへへ。でも、いいお天気だね。え! だんな! どうですかよ、この朗らかさってえものは! 勤めがなくて、ぽっぽにたんまりおこづけえがあって、べっぴん片手に船遊山《ふなゆさん》、チャカホイ、チャカホイ、チャカチャカチャ――と、いけませんかね。けえりに中州あたりへ船をつけて……パイイチやったら長生きします
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