とは、行者のおやじなかなかにしゃれ者だったからです。
「じゃ、もう聞くことはあるまい。そろそろあごをなでなくちゃならなくなったようだ。あにい、代わってその赤子を抱いてやんな」
「え……?」
「器量よしの若い後家さんが、夜ふけにひとりでどこの板橋へ金策にいったか、その眼《がん》をつけに行くんだから、赤子を代わって抱いて、おとなしくついてこいといってるんだよ。――ねえや、このおじさんは行者じゃねえが、千里も万里も先が見える目玉が二つあるからな。きっと母《かあ》の居どころを見つけてやるぞ。泣かいでもいい、泣かいでもいい。もう泣かいでもいいから、おまえのうちへ連れていきな」
うれし泣きに泣きつづけながら、急に元気づいて、ころころところがるように駆けだしていった小娘を道案内に立たせながら、いかなる秘密もあばかねばおかじといわぬばかりの面持ちで、名人は自信ありげにそのあとを追いました。
5
行くこと四町ばかり。
案内していった向こう横町のその住まいへはいってみると、なるほど家の中は荒廃をきわめて、いかにこれまで小娘一家が貧に苦しんでいたか、目をおおいたいくらいでした。売り食いに売り払って、その日の糧《かて》を求めてでもいたものか、家具と名のつくほどの品はなに一つなく、まにあわせのお勝手道具が少々と、売るに売れぬぼろでもはいっているらしい破れつづらがたった一つ、へやのすみにころがっているばかりです。
「おどろいたね。いくら貧乏しても、こんなあばら屋ってえものはねえですよ。もののたとえにも、日本橋といや土一升金一升というくれえのもんだが、目と鼻のその日本橋近くにこのあばら屋は、なんですかよ。おら、承知ができねえんだ。え? ちょいと、だんな! だれがいってえこんなに貧乏にしやがったんですかい。ね、ちょいと! え? だんな?」
「…………」
「へへえね。こいつあおどろいた。生意気に押し入れがついておると思ったら、何もねえんですよ。ふとん一枚ねえんですよ。もう十日もたちゃ霜が降りようってえいうこの薄寒い秋口に、毎晩毎晩何を着て寝ていたんでしょうね。え? ちょいと。ね、だんな!」
そろそろともううるさく始めかけたのを、相手にもせずに名人は聞き流しながら、しきりとへやのうちをあちらこちらと見捜しました。
しかし、何もない。まったく何もこれと思われる品は見当たらないので
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