「へへねえ。こりゃまたどうしたんですかい。やけにまた下司《げす》なものが出てきたじゃござんせんか。まさかに、この侍、棟梁《とうりょう》を内職にしていたんじゃありますまいね。え? だんな。ね、ちょいと。いったいこりゃなんですかね」
 間をおかずにやかましくさえずりだしたのをしり目にかけて、烱々《けいけい》と目を光らしながら右の二品を見ながめていましたが、さっそうとして立ち上がると、不意にずばりと抜き打ちの右門流でした。
「どうだね。あにい。おいらはひげすり閻魔《えんま》さまへお参りしたのはきょうがはじめてだ。ひと回り見物するかね」
「え……?」
「木があって、森があって、池があってね、なかなかおつな境内のようだから、ひと回り見物しようぜといってるんだよ」
「かなわねえな。思い出したようにしゃべったかと思うと、やけにまた変なことばかりいうんだからね。おたげえ死ねば極楽へ行かれる善人なんだ。用もねえのにお閻魔さまのごきげんなんぞ伺わなくたっていいんですよ。――ね、ちょいと。やりきれねえな。とっととそんなほうへいって、何が珍しいんですかよ」
 鳴り鳴り追ってきたのを振り向きもしないで名人がさっさとやっていったところは、お堂の裏の昼なお暗くこんもりと茂った森でした。のみならず、その森の中へずかずかはいっていくと、そくそくとそびえている杉の木立ちを一本一本丹念に見調べていましたが、と、――そこのいちばん奥の別して大きい一本の前まで歩み近づくや同時に、名人のもろ足がぴたりくぎづけになったかと見えるや、その両眼が物におびえでもしたかのごとく妖々《ようよう》としてさえ渡りました。なんとぶきみなことか、その太い杉の赤茶けた幹の腹には、手足そろったわら人形が、のろいのあのわら人形が、両足、両手、胸、首、頭と、七本の三寸くぎに打ちえぐられて、無言のなぞと、無限の秘密をたたえながら、ぐさりとくぎづけになっていたからです。しかも、そのくぎの新しさ! そのわら人形の新しさ! ――だれが見ても、ゆうべの丑満時《うしみつどき》にのろい打ったものとしか思えないのです。同時に、伝あにいがくちびるまでもまっさおにしながら、けたたましい音をあげました。
「ち、ち、ちくしょうめッ、やったな! やったな! あれですよ、あの野郎ですぜ。ふところから金づちと三寸くぎが出たじゃござんせんか。ね、ちょいと、あのわにぐちの下にのけぞっているあのいなか侍ですぜ。え! だんな。かなわねえな。生得あっしゃこういうものがはだに合わねえんだ。黙ってりゃ、もうけえりますぜ。ね、だんな、けえりますよ。え? ちょいと。返事しなきゃけえりますぜ」
 声はない。返事もない。また、ないのがあたりまえです。事ここにいたれば、秘密のとびらはすでにもう開かれたも同然だからです。名人は静かに近よりながら、その形をくずさないようにそおっとわら人形を抜きとると、裏を返して見調べました。と同時に目を射たものは、急――大きく急と書いた不思議な文字です。それから、のろいの相手の年がある。巳年《みどし》の男、二十一歳と、墨色あざやかにわら人形の背に書いてあるのです。
「やりきれねえな。そんな気味のわるいものをふところへしまって、どうするんですかよ。ね、ちょいと、なんとかひとことぐらいおっしゃいよ」
 しかし、名人はものすごいくらいおしでした。たいせつな物のようにわら人形を懐中すると、その早いこと早いこと。すたすたとお堂の前に帰っていった出会いがしらに、ぱったり顔を合わせたのは、練塀《ねりべい》小路の妙見堂から汗をふきふき駆けつけたあば敬とその一党です。
「忙しいことでござりまするな。お先へ失礼――」
 軽く一礼すると、待たしておいた駕籠《かご》にひらりうち乗りながら、涼しく命じました。
「ゆっくりでいいからな。練塀小路の妙見堂だぜ」
「ちぇッ。これだからな。駕籠屋やあば敬に口をきくくれえなら、かわいい子分なんだ、あっしにだっても口をきいたらいいじゃござんせんか。なんて意地曲がりだろうね」
 鳴るのに合わせてゆらりゆらりと駕籠をうたせながら、やがて乗りつけたところは、命じたその三本榎の妙見堂境内でした。
 しかし、あるべきはずの死骸はもうないのです。
「ちくしょうめッ。あば敬ですよ。あば敬がどっかへ隠したにちげえねえんですよ。けさ見たときゃ、ちゃんとこのわにぐちの下に長々とのけぞっていたのにね。やつめ、あっしどもがこっちへ回ってくるのを気がつきやがって、意地わるくもうかたづけさせたにちげえねえんですよ」
 むろん、それに相違ないと思われましたが、名人はゆうゆう淡々、顔色一つ変えずに、さっさとやっていったところは、お堂わきに雲つくばかりそびえ立っている三本榎のそばでした。ぎろり、目を光らしてその幹を調べると、ある、ある、まんなかのひときわ太い幹のひと目にかからぬうしろ側に、寸分違わぬ真新しいわら人形が、ぶきみにくぎづけとなっているのです。しかも、裏側の文字までがそっくりなのでした。急という不思議な文字を同じように、一つ書いて、その下にやはり巳年の男、二十一歳と、なぞのごとくに書いてあるのです。おもむろにそれを懐中するや、不意も不意なら意外も意外、じつにすさまじい右門流の命令が飛びました。
「十手だッ。十手だッ。伝の字、十手の用意しろッ」
 ひらり駕籠に乗ると、命じた先がまたさらにどうも容易ならぬ右門流でした。
「行く先ゃ忍《しのぶ》ガ岡《おか》の天海寺だ。急いでやりな」
 今の寛永寺なのです、[#「今の寛永寺なのです。」の誤り?]東叡山《とうえいざん》寛永寺というただいまの勅号は、このときより少しくあとの慶安年中に賜わったものですから、当時は開山天海僧正の名をとって、俗に天海寺と呼びならしていた徳川|由緒《ゆいしょ》のその名刹《めいさつ》目ざして、さっと駕籠をあげさせました。

     3

 むろんのことに肝をつぶしたのは、わが親愛かぎりなき伝あにいです。およそめんくらったとみえて、ごくりごくりといたずらになまつばをのみながら、あのうるさいあにいがすっかり黙り込んで、目をさらのようにみはったきりでした。無理もない。僧正天海が将軍家お声がかりによって建立《こんりゅう》したその天海寺の中に、十手を必要とすべき下手人がいるとするなら、これはじつにゆゆしき一大事だったからです。
 だが、名人はまことになんともいいようもなく物静かでした。三橋《みはし》のところで乗り物をすてながら、さっさと伽藍《がらん》わきの僧房へやって行くと、案内の請い方というものがまたなんともかともいいようもなく古風のうえに、いいようもなく大前でした。
「頼もう、頼もう」
「どうれ」
 相手もまた古風に応じて、見るからに青やかな納所坊主がそこに手をついたのを見ながめると、ずばりといったことばが少しおかしいのです。
「ご覧のごとくに八丁堀の者じゃ。静かなへやがあらば拝借いたしたいが、いかがでござろうな」
「は……?」
「ご不審はごもっとも、この巻き羽織でご覧のごとく八丁堀者じゃ。仏道修行を思いたち、かく推参つかまつったが、うわさによれば当山は求道《ぐどう》熱心の者を喜んでお導きくださるとのお話じゃ。静かなへやがあらば暫時拝借いたしたいが、お許し願えましょうな」
「なるほど、よくわかりました。ご公務ご多忙のおかたが仏道修行とは、近ごろご奇特なことにござりまする。喜んでお手引きつかまつる段ではござりませぬゆえ、どうぞこちらへ」
 案内していったへやというのが、すさまじいことに二百畳敷きぐらいの大広間でした。しかも、その広いとも広いへやのうちには、調度も器具もなに一つないのです。まことにこれでは静かも静かもこれ以上の静かなへやはない。その大広間の、渺々《びょうびょう》として遠くかすんでみえるような広いへやのまんなかへ、ちょこなんと名人主従を待たしておくと、やがてのことに持ち運んできたのは、数十冊のあやにかしこい経典でした。
「お求めの尊いみ教えは、みなこのお経のうちにござりますゆえ、お気ままにご覧なされませ」
 言いすてながらすり足で納所坊主が立ち去っていったのを見すますと、それからがいかにも不思議でした。
「ちともったいないが、このお経をまくらにかりて、極楽の夢でも見せていただこうぜ。おまえもひと休み昼寝をやりな」
 いいつつ、お経に一礼してから、まくら代わりに積みあげて、ごろり横になると、いとも安楽そうにまなこを閉じたので、いまかいまかと十手にそりをうたしていた伝あにいが、たちまち百雷いちじに爆発させたのは当然でした。
「ちぇッ、なんですかよ! なんですかよ! 人を小バカにするにもほどがあるじゃござんせんか。十手はどうするんです! 用意しろとおっしゃった十手は、どうかたをつけるんですかよ。きのうきょうの伝六様の十手あしらいは気合いが違うんだ、気合いがね。あっしゃさっきから、もう腕を鳴らして待っているんですよ。どこにいるんです! ね、ちょいと、十手の相手のホシは、このお経の中にいるんですかい。え? だんな! どこにいるんですかよ」
「せくな、せくな。がんがんいう暇があったら寝りゃいいんだよ。お経をおつむにいただいて寝るほどありがたいことはねえんだ。極楽へ行けるように、ゆっくり休みな」
「おこりますぜ。ほんとに、人をからかうにもほどがあるじゃござんせんか。じゃ、一杯食わしたんですかい。十手の用意をしろといったな、うそなんですかい」
「うそじゃねえよ。おめえみたいなあわてものは、今から用意させておかねえと、いざ鎌倉《かまくら》というときになってとち狂うからと思って、活を入れておいたんだ。夜中の丑満時《うしみつどき》になりゃ、十本あっても足りねえほど十手が入り用になるんだから、寝るのがいやなら、そこにそうして、十手を斜に構えて、ゴーンと丑満が鳴るまで意気張っていな」
「ちぇッ。なんてまあ気のなげえ十手だろうね。あば敬はどうするんです。あば敬にしてやられたらどうするんですかよ。あの大将だって死にもの狂いに駆けずりまわっているにちげえねえんだ。さるも筆のあやまり弘法様も木から落ちるというからね。やにさがっているまにしてやられたら、どうするんですかよ」
 鳴れどたたけどもう声はない。仏道仏心|弥陀《みだ》の極意はこのひとまくらのうちにありといわぬばかりで名人は、求道弘法《ぐどうぐほう》の経巻を頭《つむり》の下にしながら、おりから聞こゆるお山の鐘を夢の国への道案内に、すやすやと心よいいびきをたてはじめました。しかも、ひとたび眠りについたとなると、なかなかに目をさまさないのです。あいきょう者の、怒り虫の、伝あにいの千鳴り太鼓が、あきれ返って眠りもやらず、二百畳のはてしもない大広間の中をかんしゃくまぎれに十手構えながら、あちらにまごまご、こちらにまごまごといったり来たりしているのもおかまいなしで、ゆうゆうと眠りつづけていましたが、とっぷり日が落ちきってしまったころになると、がばとはね起きざまに納所坊主を呼び招きながら、いともまじめくさって、おごそかにいったことでした。
「いや、どうも近ごろにないけっこうな修行をいたしました。事のついでにと申しては無心がましゅうて恐れ入るが、ちょうどお斎《とき》のころじゃ。夕食ご造作《ぞうさ》にはあずかれまいかな」
「はっ、心得ました。お目ざめになりますれば、ほかならぬあなたさまのことでござりますゆえ、たぶんそのご用がござりましょうと、もうしたくしておきましてござります」
「ほかならぬあなたさまとは、なんのことでござります」
「お隠しあそばしますな。さきほどからの不審なおふるまいといい、そちらのおかたのおにぎやかさといい、どうもご様子ががてんまいりませぬゆえ、いろいろとみなして評定いたしましたが、あなたさまこそ今ご評判の右門殿でござりましょうがな」
「あはははは、とうとう見破られましたか。それとわかれば、隠しだていたしませぬ。ちと詮議《せんぎ》いたさねばならぬことがござりますゆえ、このような無作法つかまつりましてござります。上さまご
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