けは人のためではござんせぬ。七つの年に親に別れ、十の年に目がつぶれ、このとおり難渋している者でござんす。お手の内をいただかしておくんなんし、とこんなに哀れっぽく持ちかけるんでね。十の年に目のつぶれた者があっしの男ぶりまでわかるたア感心なものだと思って、三百文ばかり恵んでやったんですよ。するてえと、だんな、いいこころ持ちで観音様へお参りしながらけえってくるとね――」
「そこで見たのか」
「いいえ、そう先回りしちゃいけませんよ。話はこれからまだずっとなげえんだから、まあ黙ってお聞きくだせえまし。するとね、ぽっかり今日さまが雲を破ったんだ。朝日がね。まったく、だんなを前にして講釈するようですが、こじきに善根を施して、観音さまへお参りをすまして、いいことずくめのそのけえり道にお会い申す日の出の景色ぐれえいい心持ちのするものは、またとねえんですよ。だから、すっかりあっしも朗らかになってね、あそこへ回ったんですよ。あそこの妙見さまへね。だんなは物知りだからご存じでしょうが、下谷の練塀《ねりべい》小路の三本|榎《えのき》の下に、榎妙見というのがありますね。よく世間のやつらが、あそこは丑《うし》の刻《とき》参りをするところだとかなんだとか気味のわるいことをいっておりますが、どうしたことか、その妙見さまがまたたいそうもなくひとり者をごひいきにしてくださるとかいう評判だからね。事のついでにと思ってお参りに行くてえと、ぶらり――下がっているんですよ」
「なんだよ。何がぶらりとさがっているんだ」
「ほら、なんとかいいましたっけね。鈴でなし、鉦《かね》でなし、よくほうぼうのほこらやお堂の軒先につりさがっているじゃござんせんか。青や赤やのいろいろ取り交ぜた布切れがたらりとさがっておって、それをひっぱるとガチャガチャボンボンと変な音を出すものがありまさね」
「わにぐちか」
「そうそう、わにぐちですよ。そのわにぐちの布がぶらりとさがっているまっ下にね、死んでいるんだ、死んでいるんだ、さっき申した二本ざしのりっぱなお侍がね、ぐさッとのど笛をえぐられて、長くなっていたんですよ。だから、こいつあたいへん、何をおいてもまずだんなにお知らせしなくちゃと思ってね、さっそく大急ぎにいましがた駕籠《かご》でけえったんですが、それにしても死に方が気に入らねえんだ。いかに妙見さまは弁天さまのごきょうだいにしたって、ただの布切れが人ののど笛を食い破るなんてことは、どう考えたってもがてんがいかねえんだからね。いってえ、そんなバカなことがあるもんだろうか、ねえもんだろうかと思って、じつはそのなんですよ。帯とわにぐちとではちっと趣が違いますが、でも同じもめんの布だからね、これで死ねるだろうかどうだろうかと、こうしてここへだらりとつりさげて、いっしょうけんめいと考えていたんですよ」
「バカだな」
「え……?」
「あきれてものがいえねえといってるんだよ。にわか坊主の禅修行じゃあるめえし、帯とにらめっこをしてなんの足しになるけえ。それならそうと早くいやいいんだ。どうやら、また手数のかかるあな(事件)のようじゃねえか。役にもたたねえ首なんぞをひねっている暇があったら、とっとと朝のしたくをやんな。まごまごしてりゃ、ご番所から迎いが来るぜ」
 いっているとき――。
「だんな、だんな! 右門のだんな!」
 向こうかどをこちらへ大声で呼びながら、そのことばを裏書きでもするように必死と駆けてきたのは、ひと目にそれとわかるご番所からの使いです。しかも、駆け近づくと同時に手渡したのは、ご奉行《ぶぎょう》直筆の次のごとき一書でした。
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「ただいまつじ番所より急達これあり、奇怪なる事件突発いたしそうろう。
練塀《ねりべい》小路|榎《えのき》妙見境内にて一人。
柳原《やなぎわら》髭《ひげ》すり閻魔《えんま》境内にて一人。
右二カ所に、いずれも禄《ろく》持ち藩士とおぼしき人体の者ども、無残なる横死を遂げおる由内訴これありそうろう条、そうそうにお手配しかるべく。右取り急ぎ伝達いたしそうろう」
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「ちぇッ、おどろいたね――」
 伸びあがってじろりとうしろからそのお差し紙をのぞき見しながら、たちまち首をあげたのはわが親愛なる伝六でした。
「なんてまたはええだろうな。こんなに早くご番所へご注進が飛んでいったところをみるてえと、こりゃどうも大騒動ですぜ。それに、見りゃ妙見堂とお閻魔さまとふたところじゃござんせんか。まさかに、あっしのお目にかかった練塀小路の死骸《しがい》が、ひとりでに柳原まで浮かれだしていったんじゃありますまいね。え? ちょいと、だんな。――おやッ、かなわねえな。ね、ちょいと、[#「ね、ちょいと、」は底本では「ねちょいと、」]だんな。急にまたどうしたんですかい。ね
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