祈願所を汚しましたる不敬の数々、なにとぞお許し願わしゅう存じます」
「なんのなんの、そのごあいさつでは痛み入りまする。学頭さまもなんぞ容易ならぬ詮議の筋あってのことであろう、丁重にもてなしてしんぜいとのおことばでござりますゆえ、どうぞごゆるりとおくつろぎくださりませ」
 さすがは忍ガ岡学寮の青道心です。早くも名人の不審なふるまいをそれと看破したとみえて、まもなくそこに運ばれたのは、けっこうやかな精進料理の数々でした。
「ちぇッ。持ちたきものは知恵たくさんの親分だ。昼寝に手品があろうとは気がつかなかったね。まあごらんなせえよ。この精進料理のほどのよさというものは、またなんともかともたまらねえながめじゃござんせんか。しからば、ひとつ、おにぎやかなおかたも遠慮のうちょうだいと参りますかね」
 こんな気のいい男というものもたくさんはない。いましがたまでふぐのようにふくれていた伝六は、たちまちえびす顔に相好をくずしながら、運ぶこと、運ぶこと、はしと茶わんが宙に六方を踏んで目まぐるしいくらいでした。
 しかし、名人はなかなかに御輿《みこし》をあげないのです。兵糧とってじゅうぶんに戦備が整ったならばすぐにも出動するだろうと思われたのに、それからふたたびごろりとなって、ようやくあごをなでなで起き上がったのが深夜のちょうど九ツ。いんにこもってボーンボーンと時の鐘が打ちだされたのを耳にするや、物静かに手をたたいて呼び招いたのは、さきほどからの青道心でした。
「なんぞご用でも?」
「ちと承りたいことがござる。当山は悪魔退散邪法|調伏《ちょうぶく》の修法《すほう》をつかさどる大道場のはずゆえ、さだめしご坊たちもその道のこと詳しゅうご存じであろうが、ただいま江戸にて丑《うし》の時参りに使われる場所は、どことどこでござる」
「なるほど、そのことでござりまするか。丑の時参りは、てまえども悪魔調伏の正法を守る者にとりましては許すことのかなわぬ邪法でござりますゆえ、場所も所も知らぬ段ではござりませぬ。まず第一は練塀小路の妙見堂、つづいては柳原のひげすり閻魔《えんま》、それから湯島坂下の三《み》ツ又《また》稲荷《いなり》、少しく飛びまして本所四ツ目の生き埋め行者、つづいては日本橋|本銀町《もとかねちょう》の白旗|金神《こんじん》なぞ五カ所がまず名の知れたところでござります」
「よく教えてくれました。い
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