べました。やはり、いかほど調べてみても突き傷ではない。刺し傷でもない。がぶりと深くえぐり取った奇怪きわまる傷口なのです。――名人の面はしだいに青ざめて、しだいに困惑の色が深まりました。竹刀だこの当たっているほど武道熱心な者が、見るとおり両刀は腰にしたままで、鯉口《こいぐち》さえ切るひまもなくあっさりやられているところを見ると、この下手人はじつに容易ならぬ腕ききにちがいなかったからです。加うるに、突いたのでもない、刺したのでもない、切ったのでもないとすれば、いかなる凶器でえぐったか、それがまず第一のなぞです。
「ね、ちょいと。誉れのたけえあごなんだ。あごをなでなせえよ、あごをね。そろりそろりとなでていきゃ、じきにぱんぱんと眼《がん》がつくじゃござんせんか。なでなせえよ、かまわねえんだから。ね、ちょいと。遠慮なくおやりなせえよ。え? だんな! 聞こえねえんですかい」
 うるさいやつがうるさくいうのを黙々と聞き流しながら、名人はぬっと手を入れてその懐中をしらべました。もし、懐中物でも紛失していたら、またそこに目のつけようもあったからです。――だが、紙入れはある。物取り強盗、かすめ取りのつじ切りでもないとみえて、小判が五枚と小粒銀が七、八ツ、とらの子のようにしまわれている紙入れがちゃんとあるのです。
「はあてね。五両ありゃ、はっぱ者なら一年がとこのうのうとして居食いができるんだ。この大将、身なりはいっこう気のきかねえいなか侍みてえだが、五両ものこづけえを、にこりともしねえで懐中しているところを見るてえと、案外|禄高《ろくだか》のたけえやつかも知れませんぜ。ね、ちょいと、違いますかい。え? だんな! 違いますかね」
 しかし、名人は完全にむっつり右門でした。懐中物になんの手がかりも、なんの不審もないとすれば、百尺|竿頭《かんとう》一歩をすすめて、さらに第二第三のネタ捜しをしなければならないのです。不浄な品物をでも扱うように、黙々としてその紙入れをふたたび死人のふところへ返したせつな! ――ひやりと名人の手に触れたものがある。取り出してみると同時に、その目が烱々《けいけい》とさえ渡りました。奇怪とも奇怪、疑問の変死人の懐中奥深くから出てきた品は、そも何に使ったものか、じつにいぶかしいことにも武家には用もあるまじき一個のかなづちと、くるくると紙に包んだ数本の三寸くぎだったからです
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