のおひざもと大江戸も、真夏の酷暑に物みなすべてが焼けついて、かげろう燃える町中は、行き来の人も跡を断ち、水い、水い、と細く呼ぶ水売りの声のみがわずかに涼味をそそるばかりでした。
「ほほう、いかさまゆうべも水騒動があったとみえて、だいぶ暇人がたかっているな」
 ひょいと駕籠の中からからだを泳がしてのぞいてみると、河岸寄りのその栗木屋の前一帯は、ご苦労さまにも暑いさなかを、物見高い見物人が押しかけて、通行もできないほどの黒だかりです。それもまた無理からぬことにちがいない。一|顰《ぴん》一|笑《しょう》、少し大きなくしゃみをしても、とかく人気を呼びたがる役者にからまったできごとなのです。しかも、その役者が毎晩毎晩気味の悪い幽霊水に襲われるというのです。あまつさえ、それが実証あってのことであるかどうかは二の次として、同じ役者どうしの意趣遺恨に根を張ったできごとと吹聴《ふいちょう》されているだけに、わけても江戸娘たちの好奇心をあおったものか、恥ずかしげに面をかくしながら、あちらにこちらにのぞき見している姿が見えました。したがって、またわが伝六のことごとく活気づいたのはいうまでもない。
「どきな、どきな、だんながおいでだよ。おらが自慢のむっつり右門のだんながお出ましなんだ。あけな、あけな、女の子は近寄ってもさしつかえねえが、ろくでもねえ野郎ども雁首《がんくび》を引っこめな」
 肩をふりふり通っていったあとから、名人は秀麗かぎりない面に、ほのかな笑《え》みをたたえながら、静かに通っていくと、案内も請わずずかずかとはいっていって、ずばりと宿の者にいいました。
「この巻き羽織見たら八丁堀《はっちょうぼり》衆ってことがわかるはずだ。嵐三左衛門の寝泊まりしていた座敷へ案内せい」
 小女に導かれながらどんどんはいっていって、ひょいとその座敷の中を見ると、いかさまそこにある品々は一つ残らず、いまだにかわききらぬ水びたしになっているのです。しかも、へやにはまゆげの跡の青いくにゃくにゃとした若い男が汗みどろになって、せっせと荷造りを急いでいるさいちゅうでした。
「あっ、あの――」
 不意の訪れにどぎまぎしながら、言いよどんだのを、いつものあのぎろりと光る鋭いまなこです。じいっと上から下へ見ながめていましたが、静かにさえた名人のことばが飛んでいきました。
「弟子《でし》だな」
「へえい、あいすみま
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