ならばてまえも耳にしたことがござります。内藤家の古島雛に、小笠原大膳《おがさわらだいぜん》様の源氏雛、それに加賀百万石の光琳雛《こうりんびな》は、たしか天下三名宝のはず、してみると、十中八、九まず――」
「盗難じゃとおっしゃるのでおじゃりまするか」
「ではなかろうかと考えるのが事の順序かと存じます。これが世間にもざらにある安物の駄雛《だびな》でござりましたら、ねらってすり替えようという盗心も起こりますまいが、天下に指折り数えられるほどの名品とすれば、ほしくなるのが人情でござりまするからな。しかし、気になるのはお嬢さまの婚期でござりまするが、お約束のお輿入《こしい》れはいつごろのご予定なのでござります」
「十八の年の五月五日が来たら、という約定でおじゃりますゆえ、もう目前に迫っているのでおじゃります」
「なるほど、なかなかゆかしいお約束でござりまするな。女夫雛《めおとびな》を片雛ずつ分けて持って、女の節句に祭りかわし、五月五日の男の節句に、雛と人と二組みの女夫をめでたくこしらえ納めようというのでござりまするな。いや、いろいろと事の子細、納得が参りました。では、念のためでござりますゆえ、春菜様とやらおっしゃったそのお嬢さまにも、ちょっとお会わせさせていただきましょうかな」
「は、よろしゅうおじゃります、と申しあげたいのでござりまするが、それが、じつは……」
「いかがあそばされたのでござります」
「どうしたことやら、騒ぎが起きるといっしょに、どこかへ姿が消えたように、見えなくなったのでおじゃります」
「えッ――」
 名人はおもわず声を放ちました。名宝なればこそ、まず十中八、九ただの盗難であろうと言いきったばかりのときに、意外や突如として、新しい疑問と新しい不審がわき上がったからです。
「ふうむ。ちとこれはまた少しこみ入ってまいりましたな。どのようなご様子で見えなくなったのでござります」
「古島様親子がご立腹なすっているさいちゅうに、なにやら悲しそうに顔色を変えて、ふらふらと奥庭のほうへ出てまいりましたゆえ、思いつめてなんぞまちがった考えでも起こしてはと、腰元の多根《たね》にすぐさま追いかけさせましたところ、もうどこへいったか見えなくなっていたそうなのでおじゃります。それゆえ、大騒ぎいたしまして、心当たりのところへは残らず人を飛ばし、くまなく捜させましておじゃりまするが、かいもく居どころがわかりませぬゆえ、それもついでにお捜し願おうと存じまして、あなたさまをお呼びたてしたのでおじゃります」
「容易ならぬことになりましたな。ようござります、なんとか力を傾けてお捜し申しましょう。では、お多根どのとやら申されるそのお腰元を、ここへちょっとお招きくだされませな」
「ところが、その多根もいつのまにやら、ふいっと消えてなくなったのでおじゃります」
「なんでござります! お腰元もいなくなりましたとな! ふふうむ! いよいよこれは事がむずかしくなりましたな。いなくなりましたのは、いつごろでござりました」
「手分けして春菜を捜しているさいちゅうに、多根がまたうち沈んだ様子で、同じようにふらふらと奥庭のほうへ出てまいりましたゆえ、若党にすぐさまあとを追わしましたところ、やはりもういなかったそうなのでおじゃります」
「お年はいくつぐらいでござりました」
「一つ下の十七でおじゃります」
「気だては……?」
「やさしゅうて、すなおで、かわゆらしゅうて、そのうえ主人思いの、なにひとつ非の打ちどころもない子でおじゃりますゆえ、春菜もいっそほんとうの妹にしたいと、口ぐせに申していたくらいでおじゃりました」
 名人は聞き終わるとともに、じっと瞑目《めいもく》しながらうち考えたままでした。単純な事件と思われたのが俄然《がぜん》ここにいたって多岐《たき》多様、あとからあとからと予想外な新事実が降ってわいたからです。春菜の行くえ知れずになったのも不審なら、あいついで腰元お多根の姿が消えたのもすこぶる不審でした。
 ふたりはしめし合わせて姿を消したのであるか? それとも、別々の理由からいなくなったか? あるいはだれか背後に糸を引く者でもあったか? もしくは、ふたりともさらわれていったか?
 いずれにしても、もちろん、雛そのものにふたりのいなくなった原因があるに相違ないのです。しかも、原因のその雛がまた尋常一様の雛人形ではないのだ。因縁の雛、恋の思い雛、行く末かけてと七つの年から誓い祭り飾りつづけた契りのしるしの片雛であるうえに、あまつさえすり替えられた真物は、天下三宝の一つと名を取ったゆゆしき名品なのです――。これでは考えざるをえない。考えまいとしても考え込まざるをえない。どこから知恵のふたをあけて、この容易ならざるなぞを解いていったらいいか? 黙々沈々、石のごとく冷静に、お
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