ぜ。でなきゃ、用もねえのに、わざわざあんないやがらせを吹聴《ふいちょう》に来るはずはねえんだ。人を見そこなうにもほどがあるじゃござんせんか。むっつりの右門というおらがのだんながおいでましますのに、あばたの大将を出世させるとはなにごとですかい。べらぼうめ! お奉行になんぞ掛け合ったってらちのあくはずはねえんだから、伊豆守《いずのかみ》のお殿さまへじかに掛け合いにめえりましょうよ! ね! だんな、めえりましょうよ! 行きましょうよ!」
「…………」
「いやんなっちまうな。何をにやにや笑っていらっしゃるんですかい。人もあろうに、あばたの大将なんかに出しぬかれてうれしいんですか! お奉行さまに目がねえんだ。松平のお殿さまなら、うん、そうか、よしよし、とおっしゃるにちげえねえんだから、直訴にめえりましょうよ! いいや、殿さままでがおらがのだんなをそでになさるんなら、この伝六が胸倉にくいついてやるんだ。――ちぇッ、やりきれねえな。にやにや笑って、何がおかしいんですかい!」
しかし、名人は何もいわずに、むっつりとしてあごをなでながら、ふいっと鳴り屋の目の前に、捕物にはなくてかなわぬ表道具の十手を黙ってつきつけたものでしたから、
「なんです?」
ぱちくりと目を丸めました。
「こんなものに、なんの御用があるんです※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」
「しようがねえな。おめえの目はどっち向いていたんだ。あばたの先生が今どんな身なりをしてきたか、気がつかなかったのかい」
「バカにおしなさんな。あたりめえの人間がきる着物をきてきたじゃござんせんか! そいつのどこが不思議だとおっしゃるんです!」
「だから、雑煮でもうんといただいて、丹田に力でもはいるようにしておけというんだよ。おめえは大役仰せつかったといったせりふを聞いて、出世したろうの、松平のお殿さまへ食いつこうのと途方もねえことをいって騒いでいるが、お年始へいった帰りだけだったのなら、熨斗目裃《のしめかみしも》のご定服を着ているのがあたりめえなんだ。にもかかわらず、大将は巻き羽織で十手を腰にしていたじゃねえか。何かあな(事件)が降ってわいて、その大役仰せつけられたにちげえねえから、とち狂っていずと、ひとっ走りお番所へいってきな」
まことに、名人の目のつけどころ、その眼のさえはこわいくらいです。
「なんでえ! そうか! あばたの大将
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