違ないのです。
「ふふうむ! さすがそちじゃな……」
 名宰相の口からは、いまさらのように感嘆の声がほころびました。
 しかし、名人にとってはこれからが明知の奮いどころです。
 しからば、何者が専介と辰のかたきであるか?
 なんのために[#「なんのために」は底本では「なんために」]、専介がいどまれるにいたったか?
 いどんだ敵は、切った敵は、どこの者か?
 鋭くその目を光らして、専介の死骸《しがい》を見調べていましたが、いつものあのからめ手攻めです。からめ手吟味のあの明知です。伊豆守を驚かして、ずばりとホシをさしました。
「よッ。これなる古橋専介どのは、絵のおたしなみがござりまするな!」
「そのとおりじゃ! そのとおりじゃ! 雅号を孔堂と申して、わが家中では名を売ったものじゃが、どうしてまたそれがわかった!」
「指に染まっている絵の具がその証拠にござりまするが、では、絵をもってご仕官のおかたにござりましたか」
「いや、わしが目をかけて使うていた隠密《おんみつ》のひとりじゃ」
「なんでござりまする! 隠密でござりますとな! 近ごろでどこぞにご内命をうけて、内偵に参られたことござりましたか」
「大ありじゃ。何をかくそう! 生駒壱岐守《いこまいきのかみ》の行状探らせたは、たれでもない、この古橋専介じゃわ!」
「えッ――」
 名人右門はおもわず驚きの声をあげました。讃岐《さぬき》高松の城主生駒壱岐守に、不羈《ふき》不行跡の数々があったために、その所領十七万石を没収されて、出羽《でわ》の由利矢島に配流された事実は、つい最近のことだったからです。
「ふうん、そうでござりましたか! いったい、専介どのは何を探ってまいったのでござります」
「壱岐守が、ご公儀の許しもうけずに、せんだって中高松の居城に手入れをいたせし由、密告せし者があったゆえ、専介めが絵心あるをさいわい、隠密に放って城中の絵図面とらせたところ、ご禁制の防備やぐらを三カ所にも造営せし旨判明したゆえ、生駒家は名だたるご名門じゃが、涙をふるって処罰したのじゃわ」
「それでござりまするな!」
「なに! では、古橋専介をねらいに参ったのは、生駒の浪人どもででもあったと申すか!」
「まず十中八、九、それでござりましょう。ご公儀や御前さまに刃向こうことはなりませぬゆえ、せめても恨みのはしにと、筋違いの古橋どのをねらったに相違ござりますまい。いずれにしても、かような太刀《たち》を辰の手に残しておいたはなによりさいわい、これを手がかりにいたさば、おっつけ下手人のめぼしもつきましょうゆえ、とくと見調べまするでござりましょう」
 取りあげて錵《にえ》、におい、こしらえのぐあいを、巨細《こさい》に見改めていましたが、その目が鍔元《つばもと》へ注がれると同時に、ふふん――という軽い微笑が名人の口にほころびました。
「わかったか!」
「たぶん――」
「なんじゃ!」
「この鍔《つば》をごろうじなさりませ。まさしく千柿《せんがき》名人の作にござりまするぞ」
「なに! 千柿の鍔とな」
 伊豆守の驚かれたのも当然――当時千柿名人の千柿の鍔といえば、知る人ぞ知る、知らぬ者は聞いておどろく得がたい鍔だったからです。住まいは目と鼻の先浅草|聖天町《しょうでんちょう》、名人かたぎも名人かたぎでしたが、読んで字のごとく、鍔の裏と表に柿の金象眼を実際の数で千個刻みつけるために、早く仕上がって一年半、少し長引けば三カ年、したがってそのこしらえた今までの千柿鍔も、六十歳近いこのときまでに、せいぜい十個か十五個くらいのものでした。作品の数が少なければ、値段は高い! 値段が高価ならば、少禄《しょうろく》の者ではまず手中しがたい! しがたいとするなら、いうまでもなく高禄の者が、それもよほどの数寄者《すきしゃ》好事家《こうずか》が、買うか、鍛《う》たせたかに相違ないのです。相違ないとするなら――。
「伝六ッ」
「できました!」
 いつのまにか敏捷《びんしょう》に借り出してきたとみえて、棒はなをそろえながら待っていたのは、お陸尺《ろくしゃく》つきのお屋敷|駕籠《かご》が二丁――。
「暫時拝借させていただきとうござります!」
「おう! いかほどなりとも!――吉報、楽しみに待ちうけているぞ!」
 宰相伊豆守のおことばをうしろに残して、手がかりとなるべきそれなる千柿鍔の一刀をかかえ持ちながら、ごめんとばかり駕籠の人となると、主従ふたりは、今なお降りしきる雪を冒して、千柿老人の住まいなる浅草へ! 聖天町へ!

     3

 行きついたとき、初更のちょうど五ツ――
「ここだッ。ここだッ。ここが千柿老人の住まいでこぜえます! 今度ばかりゃ、いかなどじの伝六でもへまをするこっちゃねえから、あっしに洗わしておくんなせえまし! 石にかじりついても辰のか
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