なった結果、急にもようが変わり、将軍家をはじめ扈従《こじゅう》の諸侯がたが、今から小石川のご用矢場に回って、御前競射をすることになったので、至急に愛用の弓を屋敷からその小石川のほうへ辰に持参せい、というご諚《じょう》なのでした。それだけのご用ならば、なにも善光寺辰をわざわざ使者に立てなくともよさそうに思われましたが、しかし、このとき伊豆守が侍臣としてお鷹野お供に召し連れていたのは、お気に入りの小姓|采女《うねめ》がただ一人でした。これは一代の名宰相松平知恵伊豆の行状中、最も特筆すべき慣例なので、他の諸侯がたがいずれも多いのは十人、少なくても六、七人は従者を伴っているのに、老中という顕職にある信綱《のぶつな》ばかり、特に一人であったというのは、こういうとき多くの家の子郎党を召し連れていったら、閣老|豆州《ずしゅう》の従者という意味で、将軍が特別の下されものなぞあそばして、そのため他の諸侯がたから、嫉視《しっし》反感をうけるようなことがあっては、という賢人の賢慮から、わざと身軽で扈従《こじゅう》するのがいつもその定例なのでした。――辰はいうまでもなくその名宰相伊豆守のご推挙で、名人の配下になった者。さればこそ、屋敷のもよう様子なども心得たこの愛くるしいお公卿《くげ》さまに、白羽の矢が立ったとてもなんの不思議はないが、聞いて、納まらなかったのは伝の字あにいです。
「ちぇッ」
特別に勇ましく鳴らすと、いうことがまた伝六流でした。
「うまくやっていやがらあ。犬になるなら大所の犬にとね。安くてまず小判、少し風もようがよろしくばご印籠《いんろう》ものだ。――ね、だんな、かりに辰めが今の使い賃にその印籠をいただいたと思ってごろうじろ。おくだされあそばす殿さまは今が飛ぶ鳥の豆州さまなんだからね。いずれは堆朱《ついしゅ》か、螺鈿《らでん》細工のご名品にちがいないが、それに珊瑚珠《さんごじゅ》の根付けかなんかご景物になっていたひにゃ、七つ屋へ入牢《にゅうろう》させても二十金どころはたしかですぜ。ね! だんな! だんなは辰めがうらやましくないんですかい!」
2
しかるに、うらやましいにも憎いにも、その辰がどうしたことか容易に八丁堀へ帰らないのです。お屋敷へいって、小石川へ回って、ご命令どおり弓をお届けしたにしても、じゅうぶんお昼までには組屋敷へ帰るだろうと思われたのが、八
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