右門捕物帖
袈裟切り太夫
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)二十日《はつか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)両国|河岸《がし》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]校《けんぎょう》
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     1

 ――このたびはその第十九番てがら。
 前回の名月騒動が、あのとおりあっけなさすぎるほどぞうさなくかたづきましたので、その埋め合わせというわけでもありますまいが、事の端を発しましたのは、あれから五日とたたないまもなくでした。もちろん旧暦ですから、九月も二十日《はつか》を越えると、大江戸もこれからがもみじの秋で、上野のお山の枝々こずえに、ちらほらとにしき模様が見えるようになるといっしょで、決まったように繁盛しだすのは浅草と両国|河岸《がし》の見せ物小屋です。このとき浅草で評判とったのが、上方下りの生き人形に、隼伝之丞《はやぶさでんのじょう》の居合い抜き、両国河岸のほうでは、娘手踊りに中村|辰太夫《たつだゆう》が勧進元のさるしばいでした。さらでだに夏枯れどきのご難をうけたあとで、太夫元も見物も飢えきっていたときなんだから、いざ評判がたったとなると、一座の者も大馬力だが、見物客もまたたいした力の入れ方で、頼まれもしないのに、口から口へ、町内から町内へ自まえの宣伝係をつとめたものでしたから、耳八丁口八丁のわが親愛なるおしゃべり屋伝六が、たちまちこれを小耳にはさんで、たちまちこれを名人のところへ吹聴《ふいちょう》にやって来たのはあたりまえなことでした。
「ね、だんな、性得あっしゃこの秋っていうやつが気に食わねえんでね。だからってえわけじゃござんせんが、せっかくの非番びよりに、生きのいいわけえ者がつくねんととぐろを巻いていたって、だれもほめてくれるわけじゃござんせんから、ひとつどうですかね、久方ぶりに浅草へのすなんてえのもあだにおつな寸法だと思うんだが、御意に召しませんかね」
「…………」
「ちぇッ。親のかたきじゃあるめえし、あっしがものをいいかけたからって、なにもそう急に空もよう変えなくたってもいいじゃござんせんか。そりゃ、あっしゃ口うるせえ野郎です。ええ、そうですよ、そうですよ。辰みてえにお上品じゃござんせんからね。さぞやお気に入らねえ子分でござんしょうが、なにもあっしが行きたくてなぞかけるんじゃねえんだ。あのとおり、辰の野郎がまだ山だしで、仁王《におう》様に足が何本あるかも知らねえんだから、こんなときにしみじみ教育してやったらと思うからこそいうんですよ」
「…………」
「伝之丞の居合い抜きが殺風景だというんなら、生き人形なぞも悪くねえと思うんですがね」
「…………」
「それでも御意に召さなきゃ、ことのついでに両国までのすなんてえのも、ちょっと味変わりでおつですぜ」
「…………」
「聞きゃ、娘手踊りと猿公《えてこう》のおしばいが、たいそうもねえ評判だってことだから、まずべっぴんにお目にかかってひと堪能《たんのう》してから、さるのほうに回るなんてえのも、悪い筋書きじゃねえと思うんですがね。あっしのこしれえたお献立じゃ気に入りませんかね」
「…………」
「ちぇッ。何が御意に召さなくて、あっしのいうことばかりはお取り上げくださらねえんですかい。天高く馬肥えるってえいうくれえのものじゃござんせんか。人間だっても、こくをとってみっちり太っておかなきゃ、これから寒に向かってしのげねえんだ。久しく油っこいものいただかねえから、まだ少しはええようだが、今からそろそろ出かけて、お昼に水金あたりでうなぎでもたんまり詰め込んでから、腹ごなしに小屋回りするなんてえのは、思っただけでも気が浮くじゃござんせんか」
 ――と、それまで何をいっても黙々として相手にしなかった名人が、はしなくも伝六のいった食べ物の話をきくと、むっくり起き上がりながら、にわかに活気づいて、いとも朗らかにいいました。
「ちげえねえ、ちげえねえ。どうも近ごろ少し骨離れがしたようで、何をするのもおっくうだと思っていたら、それだよ、それだよ。水金のたれはちっと甘口でぞっとしねえが、中くしのほどよいところを二、三人まえいただくのも、いかさま悪くねえ寸法だ。はええところお公卿《くげ》さまを呼んできな」
 いうまに茶献上をしゅッしゅッとしごきながら、蝋色鞘《ろいろざや》を意気差しに、はればれとして立ち上がったものでしたから、伝六のことごとく悦に入ったのはいうまでもないことでした。
「ちッ、ありがてえ! ちくしょうめ、すっかり世の中が明るくなりゃがったじゃねえか。だから、なぞもかけてみるも
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