い》――。
「畜生とは思えぬくらいじゃな」
すっかり名人も感に入って、久しぶりの目保養気保養にうっとりなりながら、あごをなでていると――、
「どきねえ! どきねえ! じゃまじゃねえかッ。[#底本には、1字あき]どきねえってたらどきねえよッ」
ガラッ八のぐあい、かしましいぐあい、どうも聞いたような声なのです。
「さてはお越しあそばさったな」
遠慮のないぐあいが、てっきりあいきょう者だろうと思われたので、あごをなでなでふり返ってみると、果然わが親愛なる伝六なのでした。
しかるに、親愛なるその伝六が、来るそうそうから少しよろしくないことをいったのです。
「いくら非番だからって、あきれただんなじゃござんせんか! こんなところでのうのうとやにさがって、しばい見物とはなんのざまです! おしばい見とはなんのざまです!」
おそくなったのをわびでもするかと思いのほかに、言いだし本人のそのご本尊が、誘いの水を向けたことなぞは忘れ顔に、あたりかまわずがみがみとやりだしたものでしたから、名人の顔色がいささか変わりました。
「人中も人前もわきまえのねえやつだな。おまえがここへ来ようと水を向けた本人じゃねえか。みっともねえ、ガンガン大きな声を出すなよ」
「声のでけえな親のせいですよ! それにしたとて、町方を預かるお身分の者が、このせわしいなかに、のうのうと遊山《ゆさん》はねえでがしょう! 治にいて乱を忘れず、乱にいて治を忘れずと、ご番所のお心得書きにもちゃんと書いてあるんだッ。人にさんざんと汗をかかして、腹がたつじゃござんせんかッ」
「変なところへからまるやつだな。おれが来たくてこんなところへ来たんじゃないよ。おめえがやけに誘ったから来たんじゃねえか。おいてきぼりに出会った腹だち紛れにのぼせているなら、大川は目と鼻の近くだぜ。ひと浴び冷やっこいところを浴びてきなよ」
「ちぇッ。血のめぐりのわるいだんなだな! のぼせているな、こっちじゃねえ、そっちですよ! レコなんだッ。レコなんだッ。レコが降ってわいたんですよ!」
「なに! 事件《あな》かい」
「だからこそ、やいのやいのと騒いでるじゃござんせんか! ご番所からお呼び出し状が来たんですよ!」
「でも変だな。おまえは髪床へいって、朝湯へ回って、たいそうごきげんうるわしくおめかしをしていたはずだが、違うのかい」
「もうそれだ。なにも人前でか
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