伝六、辰の両配下を引き従えながら、時を移さず怪しの駕籠のくせ者大名目ざして駆けつけたのはいうまでもないことでしたが、しかるに、これがいかにも奇怪なのです。矢を射る、当たる、駆けだすと、ほとんど時をまたずにいずれもが駆けつけていったのに、なんたる早わざでありましたろう! 怪しの大名駕籠は、とっくにもうもぬけのからでした。お供の者も三、四人はいたはずでしたから、せめてそのうちのひとりぐらい押えられそうに思われましたが、それすら完全に煙のごとく逐電したあとで、ただ残っているものは怪しの駕籠が一丁のみでしたから、いかな捕物名人も、あまりのすばしっこさに、すっかり舌を巻いてしまいました。しかも、それなる残った駕籠がまたすこぶる用意周到で、飾り塗り、金鋲《きんびょう》、縁取りすだれ、うち見たところお大名の乗用駕籠には相違ないが、よほどの深いたくらみと計画のもとに遂行されたとみえて、駕籠の内外には証拠となるべき何品もなく、せめて唯一の手がかりと思った紋所さえもどこに一つ見当たらなかったものでしたから、これにはわれらの捕物名人も、はたと当惑いたしました。
 けれども、むろんそれは一瞬です。よし墨田の大川に水の干上がるときがありましょうとも、江戸八丁堀にぺんぺん草のおい茂る日がありましょうとも、むっつり右門と名をとったわれらの名人の策の尽きるときがあろうはずはないので、しからばとばかりに河岸《かし》を変えると、矢を射込まれたいぶかしき御用駕籠検分に、烱々《けいけい》としてあの鋭い目を光らしながら取って返しました。

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 しかるに、それなる矢を射込まれた駕籠がまた、なんとしたものでありましたろう。距離はかれこれ一町近くもあるうえに、得物は同じ弓であっても大弓ではなく半弓でしたから、それほどあつらえ向きに命中するはずはあるまいと思われたのが、すこぶる意外でした。よほど手ききの名手とみえて、みごとに耳下にぶつりと的中、あまつさえ鏃《やじり》には猛毒でもが塗り仕掛けてあったものか、ご藩医たちがうちうろたえて、介抱手当を施したにもかかわらず、すでに難をうけた者は落命していたものでしたから、いよいよいでていよいよ重なる奇怪事に、名人のしたたか驚いたのはいうまでもないことでしたが、それよりもよりもっと意外に思われたことは、それなる毒矢に見舞われた当の本人が、なんともいぶかしいことには、大振りそでに紫紺絖《しこんぬめ》はいたるお小姓なのです。容色もとよりしたたるばかり。年のころもまた二九ざかり。さすがご三家のやんごとないご連枝がご寵愛《ちょうあい》のお小姓だけあって、玉の緒絶えたるのちもなお目ざめるほどのたぐいまれな容色をたたえていましたものでしたから、さらにいでてさらに重なる不審な事実に、三たびうちおどろきながら、じっと鋭くまなこを注いでいましたが、――せつな! まことにいつもながらの古今に無双なその烱眼《けいがん》は、むしろ恐ろしいくらいのものでした。
「よッ。それなるおかた、お小姓姿におつくりではござるが、まさしくご婦人でござりまするな!」
 と――、ますますいでて、ますます奇怪でした。ズバリといった看破の一言に、居合わした供頭《ともがしら》らしい尾州家の藩士が、ぎょッならんばかりにうろたえながら、荒々しくこづき返すと、江戸八百八町の大立て物をなんと見誤ったものか、けわしくきめつけました。
「めったなことを申さるるな! 用もない者がいらざるお節介じゃ。おどきめされッ。そちらへとっととおどきめされッ」
 寄ってはならぬといったものでしたから、聞くやいっしょで、湯煙たてながらしゃきり出たのは、だれでもない向こうっ気の伝六です。
「なんだと※[#疑問符感嘆符、1−8−77] おい! いなかの大将ッ。用がねえとは何をぬかしやがるんでえ! おいらのだんなが目にはいらねえのかッ」
 江戸っ子気性の伝六としてはまた無理のないことでしたが、巻き舌でぽんぽんといいながら食ってかかろうとしましたので、名人があわてて制すると、微笑しいしいいたって物静かにいいました。
「ご立腹ごもっともにござりまするが、てまえは伊豆守様のご内命こうむりまして、お出迎えご警固《けいご》に参りました八丁堀の同心、役儀のある者でござりましてものぞいてはなりませぬか」
「ならぬならぬッ。だれであろうと迷惑でござるわ! さっさとおどきめされッ」
 しかるに、藩士はあくまで奇怪――ふたたび権高にこづき返しましたので、短気一徹、こうなるとすこぶる勇みはだの伝法伝六が、ことごとくいきりたちながら、あぶくを飛ばして名人をけしかけました。
「だんなともあろう者が、何をぺこぺこするんですかッ。こんなもののわからねえ木念仁のでこぼこ侍をつかまえて、したてに出るがもなあねえじゃござんせんかッ。ぽんぽんとい
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