えぜ」
 がてんがいけば天気快晴。いらざるむだ口を善光寺|辰《たつ》にたたいておいて、横っとびに向こうへ飛んでいったと思われましたが、ほどなく宿場育ちの屈強な裸人足を引き連れてまいりましたので、いよいよここにまこと伝六のことばのごとく、城持ち大名と捕物名人の古今|未曽有《みぞう》な力と知恵の一騎打ちが、いまぞ開始されんず形勢とあいなりました。

     3

 行き向かったところは、むろんのことに、今、名人がいった江戸にただ一人しかないという西条流鏑矢のその弓師、名は六郎左衛門《ろくろうざえもん》。住居は牛込の河童坂《かっぱざか》――士官学校があったあの横の坂ですが、河童がここで甘酒屋に化けていたとかいうところからそういう名が起こったのだそうで、家を捜すはこれまた伝六のおはこ。
「だんな、だんな。めっかりましたぜ」
 その河童坂を上りきったところで、てがら顔に呼び招いた声がありましたものでしたから、ただちに駕籠をのりつけさせました。まだ元和《げんな》慶長ながらの武の道がお盛んな時代ですから、もとより商売はことのほかの繁盛ぶりで、三間間口の表店には、百丁ほどの半弓がずらりと並び、職人徒弟も七、八名――。
 伝六、辰を引き従えてずかずかはいっていくと、
「許せよ。六郎左衛門は在宅か」
 うれしいほどに重々しく鷹揚《おうよう》でした。
 だのに、職人どもがどうしたことかまたぼんくらばかり。いわゆる巻き羽織衆と称して、およそ八丁堀にお組屋敷を賜わっているほどの町方同心ならば、いずれも羽織のすそを巻いて帯にはさんでいるのが当時の風習でしたから、それだけでもひと目見たらわかりそうなのに、とち狂ったのがもみ手をしながらまかり出ると、いらざることをべらべらと始めました。
「いらっしゃいまし、半弓はどの辺にいたしましょう。あちらの十六丁は柘《つげ》に櫨《はぜ》の丸木弓でござります。ちと古風でござりまするが、それがお不向きでござりましたら、こちらが真巻きにぬり重籐《しげとう》、お隣が日輪、月輪、はずれが節巻きに村重籐《むらしげとう》。どの辺にいたしましょう」
 のぼせ返って聞きもしないことをまくしたてたものでしたから、鋭い一喝《いっかつ》。
「控えろ。身どもの腰がわからぬか」
「なんでござりましょう」
「手数のかかるやつどもじゃな。これなる巻き羽織が目にはいらぬかときいているのじゃ」
「…………?」
 しかるにもかかわらず、なおぱちくりととち狂っていましたので、ついにずばりと名のりあげました。
「わしがあだ名のむっつり右門じゃ」
 同時にぎょッとなって血の色を失ったのは当然。いずれもぎょうてんしながら青ざめているところへ、騒がずに[#「騒がずに」は底本では「騒かずに」]立ち現われたのは、尋ねるあるじです。年のころは五十かっこう、今がいちばん分別盛りな年配も年配でしたが、諸家諸侯にも出入りのかのう身分がそうさせたものか、さすがに貫禄《かんろく》品位じゅうぶん、丁重いんぎんに両手をつくと、そらさずにいいました。
「ご高名のだんなさまとも存じませず、徒弟どもがとんだぶちょうほうつかまつりまして、恐縮にござります。てまえがお尋ねの西条流弓師六郎左衛門。ご不審のご用向きはなんでござりましょう」
 いうこともまたおちついているので、だからすぐにもきき尋ねるだろうと思われたのに、しかし、名人は黙念としてまず鋭い一瞥《いちべつ》を与えました。のちの赤穂《あこう》浪士快挙に男を売った天野屋利兵衛《あまのやりへえ》の例を引くまでもなく、ややもするとこの種の武士表道具に関する探索|詮議《せんぎ》には、命を捨てても口を割ろうとしない武士かたぎ男だて気質のめんどうなのが介在することをよく心得ていましたものでしたから、弓師六郎左衛門はたしていかなる人物かと、ややしばし烱々《けいけい》と鋭く見守っていましたが、べつにうろたえた色も見せず、目の動きもいたって尋常、懸念すべき点はなさそうでしたから、やがてのことに名人のさわやかなことばがずばッと飛んでいきました。
「神妙に申したてねばあいならんぞ」
「ご念までもござりませぬ」
「では、あい尋ねるが、そちの手掛けた西条流半弓一式を近ごろにどこぞの大名がたへ納めたはずじゃが、覚えないか」
「…………」
「黙っているは隠す所存か」
「め、めっそうもござりませぬ。そのようなことがござりましたろうかと、とっくりいま考えているのでござりまするが、――せっかくながら、この両三年、お尋ねのようなことは一度もござりませぬ」
「なに? ないとな! いらざる忠義だていたすと、せっかく名を取った西条流弓師の家名も断絶せねばならぬぞ。どうじゃ、しかとまちがいないか」
「たしかにござりませぬ。てまえは昔から物覚えのよいが一つの自慢。まして、ご大名がたへのご
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