「…………?」
 しかるにもかかわらず、なおぱちくりととち狂っていましたので、ついにずばりと名のりあげました。
「わしがあだ名のむっつり右門じゃ」
 同時にぎょッとなって血の色を失ったのは当然。いずれもぎょうてんしながら青ざめているところへ、騒がずに[#「騒がずに」は底本では「騒かずに」]立ち現われたのは、尋ねるあるじです。年のころは五十かっこう、今がいちばん分別盛りな年配も年配でしたが、諸家諸侯にも出入りのかのう身分がそうさせたものか、さすがに貫禄《かんろく》品位じゅうぶん、丁重いんぎんに両手をつくと、そらさずにいいました。
「ご高名のだんなさまとも存じませず、徒弟どもがとんだぶちょうほうつかまつりまして、恐縮にござります。てまえがお尋ねの西条流弓師六郎左衛門。ご不審のご用向きはなんでござりましょう」
 いうこともまたおちついているので、だからすぐにもきき尋ねるだろうと思われたのに、しかし、名人は黙念としてまず鋭い一瞥《いちべつ》を与えました。のちの赤穂《あこう》浪士快挙に男を売った天野屋利兵衛《あまのやりへえ》の例を引くまでもなく、ややもするとこの種の武士表道具に関する探索|詮議《せんぎ》には、命を捨てても口を割ろうとしない武士かたぎ男だて気質のめんどうなのが介在することをよく心得ていましたものでしたから、弓師六郎左衛門はたしていかなる人物かと、ややしばし烱々《けいけい》と鋭く見守っていましたが、べつにうろたえた色も見せず、目の動きもいたって尋常、懸念すべき点はなさそうでしたから、やがてのことに名人のさわやかなことばがずばッと飛んでいきました。
「神妙に申したてねばあいならんぞ」
「ご念までもござりませぬ」
「では、あい尋ねるが、そちの手掛けた西条流半弓一式を近ごろにどこぞの大名がたへ納めたはずじゃが、覚えないか」
「…………」
「黙っているは隠す所存か」
「め、めっそうもござりませぬ。そのようなことがござりましたろうかと、とっくりいま考えているのでござりまするが、――せっかくながら、この両三年、お尋ねのようなことは一度もござりませぬ」
「なに? ないとな! いらざる忠義だていたすと、せっかく名を取った西条流弓師の家名も断絶せねばならぬぞ。どうじゃ、しかとまちがいないか」
「たしかにござりませぬ。てまえは昔から物覚えのよいが一つの自慢。まして、ご大名がたへのご
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