最初に丘の向こうから忍びやかな足音がありました。
 影は紛れなく男!
 つづいて、青梅院内から、これも同じような忍び忍んでのかすかな足音がありました。
 影は紛れなく尼僧姿!
 そして、尼僧のはばかるような声が先にきかれました。
「な、もし……弥吉さまか」
「そうでござります、お妙《たえ》さまか」
「あい……会いとうござんした。きょうも一日が、ほんとうに長うござんした」
「わたしも! わたしも!」
 かきねの外と、かきねの中とから、ひしと相いだくようにすがり合ったのを認めて、すいと名人が身を起こすと、一語強くふたりの影にいいました。
「八丁堀からはるばるお迎いに参った右門でござります。お妙さまのためにはお父御《ててご》が島田かつらをご用意なさいまして、婚礼のしたくができていましょうから、さ! いっしょにお越しなされませ」
 忍び会うていたふたりのおどろきはむろんでしたが、それを押えた名人がいいました。
「いえ、もうご心配はござりませぬ。それよりか、あのとおり、ふたりのてまえの手下どもが首をひねってござりますから、おふたりがどうしてこんなところへ来ていらっしゃるか、手みじかに話してやってくださいましな。てまえにはおおかた眼がついておりますが、手下のやつらは鼻をつままれたような様子をしておりますからな。お妙さまからお先に話してやってくださいましよ」
「…………」
「お迷いなさらなくともよろしゅうござりまするよ。あなたさまが深川で入水《じゅすい》女の替え玉を使ったことも、次郎松に金襴《きんらん》仕立ての守りきんちゃくを贈ったことも、てまえにはちゃんともうわかっているんでござりまするからな、手間を取らせずに、早く聞かせてやってくださいましよ」
「ま! それまでおにらみがついてでござりましたら、申します、申します。いかにも深川先で、おことばどおり、わたくしの身がわり仏を使いましたはまことでござりまするが、でも、わたくしがあやめたのではござりませぬ。弥吉さまに添われぬくらいならば、いっそもう死んだがましと存じましたゆえ、髪の毛をきって、形見にととさまのところへ届けたうえ海へ入水して死のうと思いまして、浜べまでまいりましたら、ちょうどわたしと同じくらいな年ごろのおなご衆が、むごたらしい死体となってあげられましたなれど、お身もとがわからぬために、お引き取り人がないと聞きました
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