そく床を二つとってもらいましょうかな」
 いうと、けげんな顔をしながら、小女のとってくれた床の中へ、自身先にたってさっさともぐりましたものでしたから、いつもながらに鳴りだしたのは雷の伝六です。
「ちぇッ、後生楽にもほどがあるじゃごわせんか。いくらあっしが昼寝をしてみてえといったからって、こんな火のつくように忙しいとき、眠ったって寝られるもんじゃねえんですよ。きのう浅草の支倉屋で買った江戸の絵図面をあっしがこうしてここに気をきかして持ってきているんだから、とっくりご覧なすって、また今夜出そうな町筋を早く見つけておくんなせえな。そうしなきゃ、また指を切られるものがありますぜ」
 まくらもとへあの地図をひろげてしきりに催促いたしましたが、名人の胸中にはなんの成算あってか、すでに悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と夢の国にはいっているらしい様子でありました。それも一刻《いっとき》や二刻の短い時間ではないので、品川浜の海波にほのぼのとして晩景の迫ってきた時分まで、ぐっすり眠りつづけていたようでしたが、と――ようやく起き上がると、そこに寝もやらで、おこりふぐのごとくかんかんになっていた伝六に微笑を送りながら、小女を呼び招いて、ふいっと命令を与えました。
「元気のいい船頭をふたりほど雇うてな、舟足の軽い伝馬船《てんません》を一艘用意してくれませんかな。いうまでもないことじゃが、おいしいものを見つくろって、晩のしたくも整えましてな。そっちにすわっているおこり虫は左がいけるほうじゃから、それも二、三本忘れずに用意しておいてくださいましよ」
 舟遊山ならば屋台船にしそうなものであるが、どうしたことか伝馬船を雇って用意万端の整うのを待ちうけながら、さっさと乗りうつりました。しかも、命じた行き先が不思議です。
「ことによると、墨田の奥まで行くかも知れませぬからな、そのつもりで大川を上ってくださいましよ」
 いいながら、しきりと用意のお料理をおいしそうに用いていたようでしたが、だのに、なにを捜し求めようとするのか、その両眼は絶えず烱々《けいけい》として、川の右岸、すなわち京橋日本橋とは反対側の深川本所側ばかりにそそがれました。それも短い距離ではないので、舟が大川筋にはいると同時から注ぎはじめて、相生河岸《あいおいがし》、安宅河岸《あたかがし》、両国河岸、厩《うまや》河岸と、やがて吾妻《あづま》河岸
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