右門捕物帖
身代わり花嫁
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)勃発《ぼっぱつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)女|一揆《いっき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)駕籠[#「駕籠」は底本では「駕駕」]
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1
――ひきつづき第十一番てがらに移ります。
事の勃発《ぼっぱつ》いたしましたのは師走《しわす》の月ずえ。今までもしばしば申し上げたように、当今とは一カ月おくれの太陰暦ですから、師走は師走であっても、ずっと寒気がきびしくて、朝夕はへそまでが凍りそうな寒のさいちゅうでした。
しかし、陽気はいかに寒いにしても、犬が東を向けばその尾は必ず西へ向くように、師走が来ればその次にお正月が来ると決まっているんですから、さらでだに火事と師走どろぼうで忙しい江戸の町は、このときにいたってますます忙しさを加え、それだけにまためいめいのふところぐあいも負けないで火の車とみえ、行き行く人の顔は、いずれも青息吐息でありました。
だが、そういう忙しげな周囲のなかにあって、忙しければ忙しいほど反対にほくほくしているところが、同じその江戸の中にただ一軒ありました。――屋号を生島屋《いくしまや》といった日本橋小田原町の呉服屋七郎兵衛の一家です。というのは、毎年の吉例どおりにこの十五日から始めた年末歳暮の大売り出しが、いつになくすばらしい大当たりを取ったからでしたが、ことにことしはせがれの陽吉が親の跡めをついで、その新婚記念と相続記念に、特別景品つきの大勉強をするというところから、売り出し初日の十五日には、これくらいあればじゅうぶんだろうと用意しておいた秩父銘仙《ちちぶめいせん》ばかりでもが、優に二千反を売り切ったというような、比類なき大景気でありました。銘仙ですらがそんな景気ですから、その他のもののはけぐあいがいいことはもちろんのことで、二日三日と大売り出しが重なっていくにつれて、客は客を呼び、評判は評判を生んで、まことに文字どおり店先は市をなすの盛況でありました。
その評判を聞きつけたのが例のおしゃべり屋の伝六で――
「ちぇッ、世の中にゃ金のなる木を持っていやがるやつが、ふんだんにあるとみえらあ。ね、だんな、おたげえひとり者どうしで、お歳暮にくれてやる女の子もねえんだが、せっかくお正月が来るっていうのに、暮れの景気も知らねえじゃ、いかにもしみったれみたいで業腹だから、ひとつぶらぶらといってみますかね」
朝湯がえりにひょっくりと顔をみせると、ちょうどその日は非番のために、右門が屈託顔でねこごたつにあたりながら、おなじみのあの十八番のあごひげをまさぐりまさぐり、草双紙かなんかに読みふけっていましたので、そそのかすように水を差し向けました。
「そうそう、おれァあの子に帯を買ってやる約束だっけ。腹ごなしに出かけようか」
すると、右門が、まさかと思っていたのに、妙なひとりごとを漏らしながら、ふいと立ち上がりましたものでしたから、水を向けるには向けましたが、案外な気のりのしかたに、かえって伝六があわててしまいました。
「そりゃほんとうですかい」
「みくびっちゃいけねえよ。おめえのひとり者と、おれのひとり者とは、同じひとり者はひとり者でも、できが違うんだ――行くなら早くお小屋へけえって、へそくりをさらってきなよ」
本気で促しましたものでしたから、おしゃべりとほっつき歩きの大好物な伝六は、犬ころのようになってしたくに駆け帰りました。
寒は寒でしたが、いいぐあいに小春日で、それがまたいっそう客足を呼んだものか、小田原町の通りまでいってみると、もう店先はいっぱいの黒山でありました。それらの黒だかりしている客の間を、少年店員が右往左往しながら、わめくようにあちらからもこちらからも呼び合いました。
「えい、一両で二十八文のおかえしイ」
「さらしの上物一反――」
「こちらは黄八丈のどてら地イ――」
しかし、そのとき、ふと右門の目をひいたものは、そこの帳場ごうしの向こうにそろばんをぱちぱちとはじきながら、手が八本あっても忙しくてたまらないといいたげに、しきりに金勘定をやっている若者でありました。たぶん、それが今度親の跡めを継いだという生島屋呉服店の新当主陽吉にちがいないが、右門の目をひいたというのは陽吉のすばらしい美男子ぶりで、それがまた並みたいていの美男子ではなく、おなごにしてもこのくらいな上玉はそうたくさんあるまいと思われるほどな逸品でしたから、ついひかれるともなくそのほうへ目をひかれました。
それと知って、ところかまわずがらッ八を始めた者は、例のとおりおしゃべり屋伝六で、こやつはほかのこととなるとご存じのようにいたってどじの伝六なんだが、どうしたことか回り気だけはおかしいくらい発達していたものでしたから、あたりには黒山のお客がいるというのに、おかまいなく右門を粗略に扱いながら、あけすけとやりだしました。
「ちぇッ、あきれるな。いくらべっぴんだからって、男のべっぴんじゃ、おかしくもおもしろくもねえじゃござんせんか。どんな帯をお買い上げだか知らねえが、買うなら早いことおしなせえよ」
その声がつつぬけに聞こえたとみえて、若主人陽吉がふとこちらを向きましたので、右門の視線と陽吉の視線とが、はしなくもそこでぱたりとぶつかりました。と同時に、どうしたことか、陽吉の両ほおがぱっと首筋のあたりまでまっかになりました。その赤らみ方というものが、また、まるで男とは見えないほどにいかにもういういしく娘々していたものでしたから、右門もちょっとそれにはめんくらったようでしたが、ちょうどそのとき手すきとなった店員が腰低くやって来て、注文の品を尋ねましたので、気がついてぶっきらぼうに答えました。
「女の子の丸帯じゃ――」
「えッ? じゃ、冗談でなくてほんとうですかい」
出がけにああはいっても、右門にかぎって、あの子やこの子が自分の知らないまにできようとは思いませんでしたから、当然のごとくに伝六はお株を始めましたが、右門は取り合おうともしないで店員に命じました。
「なるべく、はで向きで、それもごく上等を見せてもらおうかな」
「へえ、かしこまりました。こちらは繻珍《しゅちん》、こちらの品はつづれ織りでございます」
声と同時に十八、九ごろから二十がらみのはで向きを、ずらずらとそこへ並べましたので、さあ一大事とばかりに伝六がいっそう目を丸くしていると、だが、買うものは余人ならぬわれわれのむっつり右門です。たとえ、はで向きといったにしても、店員の持ち出したようなそんな年ごろの、聞きずてならぬ隠し人や届け先がいつのまにかできていたとしたら、いち伝六の問題ばかりではなく、やがて江戸に女|一揆《いっき》の起きるやも計られない大問題でしたから、右門はあわてて手を振ると、にが笑いしいしいいいました。
「いや、違うよ違うよ。もっとずっと若い、十二、三の子どもものじゃよ」
「ちぇッ」
みごとにまた右門得意の肩すかしに出会って、伝六はちぇッと舌を鳴らしながらそっぽを向きましたが、反対に右門はおおまじめでありました。店員が新しくそこに並べ直したがらものの中から、緞子《どんす》のすばらしい一本を選び出すと、宝の小づちを背負ってでもいるような顔つきで尋ねました。
「三十両がほどもするかね」
「いいえ、十八両でございます」
「ああ、そうか。ちっと物足らないが、では、これをいただきましょうかな」
まだ慶長小判が流通している時代の十八両なんだから、いいかげんなかど地面が買えるほどの金高ですが、しかるに右門は、ちっと物足らないが、といたって大きく出ながら、ちゃりちゃりとそこへ山吹き色を惜しげもなく並べると、念をおすように尋ねました。
「むろん、届けてくださるだろうね」
「へえい、もうすぐと伺わせまするでござります。おところはどちらさまで――」
ことごとくもみ手をしたのを見ると、伝六というやつはうるさいといえばうるさいが、一面また実にかわいらしいあいきょう者でありました。
「どちらさまとはなんでえい、なんでえい、江戸っ子にも似合わねえ、おらが自慢のだんなを知らねえのか、右門のだんなさまだよ、八丁堀の右門のだんなさまだよ」
いらざるところにいらざる自慢の名のりをあげたものでしたから、
「おいこら、伝六ッ――」
あわててしかっておくと、右門は届け先を告げました。
「松平|伊豆守《いずのかみ》様のお屋敷に、静と申すお腰元がいるはずじゃからな。こちらの名まえをあかさずに届けなよ」
言いおくと、右門と知って目引きそで引きしながら、いっせいにどよめきたったお客たちの視線をのがれるようにして表へ出ていきました。――お記憶のよいかたがたはいまだにお忘れないことと存じますからあらためて説明するまでもないことですが、右門がゆかしくも贈り主の名まえをかくして、かく高価な丸帯を惜しげもなくお歳暮に届けろと、店員に命じた相手のその静というのは、すでにお紹介しておいた六番てがらの継母《ままはは》事件で、右門に生まれてたった一度のごとき男涙をふり絞らしたあの孝女静のことです。その節、右門が声明しておいたとおり、世にも可憐《かれん》な孝女の孤児は、その後右門が親もととなって、伊豆守様のお屋敷奉公に上がっていますので、義を見てはだれより強く、情に会っては何びとより涙もろい人情家のむっつり右門は、年の瀬が迫ってきても、だれひとり人の世の親身な暖かさを与え知らすもののないこの可憐な孤児に、かくもゆかしく名まえをかくして、至愛の一端を示したのでありました。
「えれえッ、えれえッ。なにをなさっても、だんなのやることにゃ、そつがねえや。あの丸帯をお静坊に贈るたあ気がつきませんでしたよ。このとおり、あっしゃうれし涙がわきました――」
伝六にも右門のゆかしさがわかったとみえて、がらッ八はがらッ八であっても、こやつがまた存外の人情家でしたから、ほんとうに往来なかで、栃《とち》のようなのをぽろぽろとやっていましたが、右門はべつにほめられるほどがものでもないといったような面持ちで、さっさと八丁堀《はっちょうぼり》のほうへ引き揚げていきました。
2
と――、帰ろうとしたその道の途中で、はしなくも右門の第十一番てがらとなるべき事件の発端が、突如として勃発《ぼっぱつ》したのです。いや、道の途中でというよりも、正確にいえば伝六が生島屋の店先で、あのとき、右門にしかられるような不必要と見える名のりをあげたからこそ、事件が向こうから右門のふところに飛び込んできたんですが、かどを曲がった近道伝いに八丁堀のほうへ帰ろうとすると、あわただしく追いかけてきて呼ぶ声がうしろにありました。
「そこのだんなさま! おふたり連れのだんなさま!」
振り返ってみると、呼び手は先ほど右門に丸帯を見せてくれた生島屋のあの店員でしたから、いぶかって待っていると、店の者は息せき切りながら追いついて、遠慮深げにきき尋ねました。
「先刻店先でこちらのかたがおっしゃいましたようでしたが、そちらのだんなさまは、八丁堀の右門様でござんすね」
「そうじゃよ」
「では、あの、うちの大だんなさまが、大至急で、ご内聞にちょっとお目にかかりたいと申してでござりますゆえ、ご足労ながらお立ち寄り願えないでござりましょうか」
「用は何でござる」
「詳しゅうは存じませぬが、いましがただんなさまがたが店先にお越しのさいちゅう、奥でなにやら妙なことが起きたそうでござります」
いるさいちゅうに事が起きたといったものでしたから、事件のいかんを問わず聞きずてならじと思いまして、ただちに右門は伝六に目くばせしながら生島屋へ引きかえしてまいりました。
「どうぞ、こちらから――」
言いつつ先にたって内玄関のほうへ案内しましたので、通されるままに上がっていくと、いかさま何か珍事が勃発したとみえまして、そこにうろうろしていたものは、生島屋の大だんな七郎兵衛《しちろうべえ》でありました。うち見たところま
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