ると、どんどん檻の前へひっぱっていって、右の大きな雄ぐまを目がけながら必死と突きを入れさせました。なにしろ、一方は自分の兄がくまにやられたとばかり無心に信じきっている少年です。しかるに、相手の突かれるくまのほうは、悲しいことに檻の中という不自由な場所にいたものでしたから、身をかわすべきすべもなく、哀れ三突きめの鋭い切っ先にぐさりとその脾腹《ひばら》をやられて、うおうと一声、けもののような人間のようなわけのわからないうめき声を発しながら、あけに染まってのけぞりました。
それと見るや、右門は疾風迅雷の早さで、黙山の手からわきざしを奪いとると、さしもがんじょうな檻の木格子《きごうし》をただ一刀のもとにばらりと切り開いて、刺された雄ぐまを地上にひきずりおろすと、ばりばりと首の皮を切りはがしました。――と、なんたる意外でありましたろう! いや、むっつり右門のやることに意外のあろうはずはないので、なんたる鋭い慧眼《けいがん》でしたろう! 果然、はぎとった皮の一枚下からは、くまと思いきや、りっぱな人間の首が現われたのです。しかも、その耳!
目をみはるまでもなく、その耳は左の片一方しかなかったものでしたから、右門はまだ絶えだえとしてあがき苦しんでいるそれなる耳のない浪人者に、ののしるごとくいいました。
「ざまをみろ! これがほんとうに下司《げす》の知恵というやつじゃ。こんな縫いぐるみなぞをかぶって、笑止なことに孝子のやいばを避けようとしたゆえ、一太刀《ひとたち》も合わさずに討たれるような恥をさらしたのじゃ」
そして、黙山を顧みると、ふたたびわきざしを持ち添えてやりながら、促すように叫びました。
「さ! 姉上兄上ふたりのかたきじゃ。門前のつり鐘を打ちのめす意気合いで、みごとに恨みを晴らしてしんぜられよ」
なんじょう黙山の今はちゅうちょすべき、かわいい声をふりあげると、姉上兄上ふたりのかたき思い知ったかとばかりに、大きく袈裟掛《けさが》けに二太刀切りさげました。
同時に、周囲の人がきからは、孝子のかたき討ちをほめそやす賞賛の声と拍手がどっとあがりました。
しかし、その拍手のまっさいちゅうです。意外なできごとが突如としてそこに勃発《ぼっぱつ》[#ルビの「ぼっぱつ」は底本では「ばっぱつ」]いたしました。まことにそれは意外以上に予期しなかったできごとでしたが、かく助勢のうえで首尾よく黙山のかたき討ちもとげ、世間を瞞着《まんちゃく》していた熊芸人の正体を看破した以上は、自然そこに居合わした遊芸人たちも四散するだろうと思いましたので、伝六以下の三人を従えて拍手賞賛の間をゆうゆう引き揚げようとすると、まったく不意打ちでありました。ひとくせありげなつら魂の者たちとは思っていても、いずれも名もない世間渡りのありふれた遊芸人だろうと多寡をくくっていたのが、右門にも似合わない目きき違いで、意外にも居合わした五人の遊芸人たちは、いっせいにおっ取り刀で駆けだしてくると、ぎらり刃ぶすまを作りながらその行く手をさえぎって、中なる年かさの一人が鋭く叫びました。
「よくも兄弟を討ったなッ、ただのさか恨みとはいわせぬぞッ。こうなりゃ商売のじゃまをされた仲間の恨みだッ。さッ、すなおにそこへ直れッ」
いうと、理不尽なことにも、仲間を討たれたさか恨みと、商売を妨げられた恨みとをたてにとりながら、不敵にも右門へ刃《やいば》を合わせようとしたものでしたから、予期しなかった敵対に不意を打たれて、おもわず二、三歩あとずさりながら、まずじっと五人の太刀先《たちさき》に目をつけました。
と、――いぶかしや、ただの素浪人と思っていたのが、いずれも相当に使うらしく、それぞれ型にはまった太刀筋を示していたものでしたから、右門は騒がずに声をかけました。
「では、きさまらも一つ穴の浪人上がりじゃな」
「今はじめて知ったかッ。放蕩《ほうとう》無頼に身をもちくずしたために、南部家を追放された六人組のやくざ者だ。むっつり右門だか、とっくり右門だか知らねえが、南部の浪人者にも骨があるぞッ! さ! 抜けッ!」
天下公知の大立て物を、ののしるべきことばに事を欠いて、とっくり右門と冷笑したものでしたから、なんじょう右門の許すべき、いよいよ今度こそは抜かなくちゃならないかな、というように会心そうな笑《え》みを見せていましたが、静かに黙山と熊仲の両名をうしろへかばうと、ぷつりと音もなく細身の鯉口《こいぐち》を切りながら、威嚇するようにいいました。
「とっくり右門でもびっくり右門でもさしつかえはないが、このからだが二寸動くと錣正流《しころせいりゅう》の居合い切りで、三人ぐらいいちどきに命がとぶぞッ。それでも来るかッ。それとも、今のうちに刃《やいば》を引くかッ」
それがまたほんとうに抜いたとならば掛け値のない
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