でいるはずでしたから、まさかへまをするようなこともあるまいと思って安心しながら待っていると、だが、案外なことに、帰ってきたのはその伝六ひとりでした。
しかし、ひとりではあったが、はいりざまに、珍しく今度ばかりはすこぶる景気のよい報告をもたらしました。
「ね、だんな、だんな! 下手人の野郎は、いよいよあの生臭坊主と決まりましたよ」
「だって、肝心の玉を連れてこないことにはしようがねえじゃないか」
「だから、あの坊主がくせえっていうんですよ。ね、あっしがお番所の者だといったら、やにわと逐電しちまいましたぜ」
「えッ、そりゃほんとうかい」
「ほんとうにもうそにも、だからこうやって、あっしひとりでけえったんじゃござんせんか」
「じゃ、なにか事件《あな》のことをにおわしたんだな」
「ところが、そいつがおおちげえなんですよ。どうやら、生臭坊主うたたねをしているようすだったからね、いきなり庫裡《くり》のほうへへえっていって、ちょっとお番所でききたいことがあるから、八丁堀まで来てくんなといったら、野郎むくりと起きざまに青くなって、そのままやにわとずらかってしまったんですよ」
「なるほどな、少しにおいがしてきたかな」
「においどころじゃねえんですよ。だから、久しぶりでひとつ、だんなの鼻をあかしてやろうと思ってね、近所の者にこっそり身がらを当たってみたら、なにをかくそう、あの生臭坊主がくまっていう名だそうですぜ」
「なに、くま! そりゃほんとうか!」
「ちゃんとこの耳でいま聞き出してきたばっかりだから、まちがいっこありませんよ。ちっと変な名なんですがね。永守《ながもり》熊仲《くまなか》っていうんだそうですぜ」
事実としたら、八丁堀の者と聞いて、やにわに逐電した点といい、その名に熊《くま》という呼び文字があるぐあいといい、少なくも今の場合の最も有力な容疑者に思われだしたものでしたから、右門は立ち上がると同時に、ぎらりと腰の細身を抜き放ちました。いうまでもなく、もしそれなる永守熊仲が、僧形の身をも顧みず殺生《せっしょう》戒を犯したとしたら、その場に力をかして少年僧黙山のために、兄のかたきを報じてやろうと思いついたからです。
まことに回を重ねることここに十回、今度こそはようように待たれたむっつり右門の太刀《たち》のさばきに接しられそうな形勢となりましたが、剣もまたその心をくんでか、細身二尺三寸の玉散る刃《やいば》は、ほのめく短檠《たんけい》の下に明皎々《めいこうこう》と銀蛇《ぎんだ》の光を放って、見るから人の生き血に飢えているもののごとき形相でありました。
右門はなつかしむようにややしばしうち見守っていましたが、にんめりとぶきみに微笑しながら、ぱちりと鍔音《つばおと》もろとも鞘《さや》へ納めると、例のごとく伝六に早|駕籠《かご》を命じて、用意のできるや同時に、先を急ぐもののごとく少年僧黙山を促しながら、自分の駕籠に共乗りさせると、ただちに息づえをあげさせました。
けれども、不審なのはその目ざした方角でありました。いま伝六が帰ってきての報告によれば、疑問の住持熊仲和尚は早くも風をくらって逐電したとはっきりいっているのに、お供を急がせた行き先は紛れもなくその源空寺でしたから、逃げ伸びたあとへなぞ行って何にするのだろうと思われましたが、しかし行きつくと同時に、すぐとそのなぞは判明いたしました。ほかでもなく、その逐電した行き先が、遠方へ高飛びしたか、それとも近所に潜伏しているかそれを点検に来たので、少年僧黙山を案内に立たせながら、そこに取り散らかされてあった身の回りの品を巨細《こさい》に調べると、路用の金すらも持たずに、ほとんど着のみ着のままで飛び出したことがまず第一に判明いたしましたから、早くも右門はその逐電先が遠方でないことを知って、なお入念に調べてみると、そのときはしなくも目についたのは長火ばちの向こうにころがっていたなまめかしい朱|羅宇《らう》です。本来、朱羅宇そのものが男ばかりの僧院には許しがたき不似合いな品であるところへ、よくよく見るとそれなるキセルの雁首《がんくび》のところには、さらになまめかしい三味線《しゃみせん》の古糸がくるくると巻きつけてあったものでしたから、すでに右門は、その逐電先までも見通しがついたごとくに、薄気味わるくにたりとほほえみをみせていましたが、と――つづいてよりいっそうの注意をひいたものは、さっきうたたねをしていたときに用いてでもいたらしいがんじょうなかぎのかかっている不審な木まくらでありました。およそ何がいぶかしいといっても、様子ありげに引き出しへじょうぶなかぎをかけている箱まくらなぞというものは、そうざらにあろうとは思えませんでしたので、容赦なく小柄《こづか》の先でこじあけてみると、果然中からは怪しき一本の手紙
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