の毘沙門《びしゃもん》さまの境内で、縁日興行を始めているというんですよ」
「そうか、さすがは仏に仕える者じゃ。よくてがらをたててまいった。では、伝六ッ、今度こそはほんとうに十手の用意がいるぞッ」
 善根善果はてきめんで、許しがたき罪をも許してやったばっかりに、かく居ながら事がとんとんと運ばれましたものでしたから、右門の一行は躍然として、豆からはえたごとき愛らしき少年僧をまんなかにいたわりながら、ただちにそれなる四谷の毘沙門天をめがけて八丁堀を立ちいでました。
 行きついてみると、なるほど熊仲和尚の報告どおり、南部名物くまの手踊りはいまし興行のさいちゅうでありました。がんじょうな木造りの檻《おり》にはいっているのは大小二頭の荒ぐまで、そばには道化た服装をした男が三人ばかりむちを携えて付き添いながら、かわるがわるにとんきょうな声で口上を言いたてました。
「さあさ、前へ回ってよっくごらんなさいよ。これは奥州南部|兜明神《かぶとみょうじん》ガ岳《だけ》の山奥でいけどりましたる女夫《めおと》ぐまでござい。右が雄ぐま、左が雌ぐま。珍しいことには、人のことばをよく聞き分けまする。安珍清姫恨みの恋路、坂田の金時|女夫《めおと》の相撲《すもう》、牛若丸はてんぐのあしらい、踊れといえば、そら、あのとおり、――牛若丸はてんぐの踊りとござい」
 いいながらむちでたたくまねをすると、いかさま二匹のくまはのっそりのっそりと立ち上がって、いとも器用に鞍馬山《くらまやま》の牛若丸を思わすような剣術の型を使いました。――見物人はむろんのことに、巧みなその踊りを見ると、わッとばかり二匹のくまに拍手の雨を送りました。
 しかし、右門ら一行のものにとっては、くまの手踊りよりも片耳のない浪人者が、その一団のうちに交じっているかいないかが第一の問題でしたから、見物人のうしろにかくれて、各自の目を光らしながら、ひとりひとり遊芸人の耳を調べました。
 ところが、不思議なことに、どこにもそれらしい人物がいないのです。木戸にいる者、檻のそばについている者、くま使いの者なぞを合わせると、全部で六、七人の遊芸人がいましたが、いずれも一くせありげなつら魂ではあっても、その耳は両方共に完全無欠な者ばかりでしたから、いぶかしく思っていると、そのときまたくま使いの道化者が、見物人の拍手に調子づいたもののごとく、とんきょうに口上を
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