右門捕物帖
達磨を好く遊女
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)勃発《ぼっぱつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)南円|和尚《おしょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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1
――今回はいよいよ第九番てがらです。
それがまた妙なひっかかりで右門がこの事件に手を染めることとなり、ひきつづいてさらに今回のごとき賛嘆すべきてがらを重ねることになりましたが、事の勃発《ぼっぱつ》いたしましたのは、前回の卍《まんじ》事件がめでたく落着いたしまして、しばらく間をおいた九月下旬のことでありました。下旬といってもずっと押しつまった二十八日のことでしたが、それも夜半をすぎた丑満《うしみつ》どきに近い刻限のことです。あたかも、その日は右門の先代の祥月命日に当たりましたので、夕がたかけて小石川の伝通院へ墓参におもむき、そこの院代の南円|和尚《おしょう》が、ちょうどまたよいことに右門とは互先という碁がたきでしたから、久しぶりについ一石と石をにぎり出したのが病みつきとなって、とうとう丑満どきに近いころまで打ちつづけ、ようようそのとき三石めの勝負番に中押しで勝ちをとりましたものでしたから、ほっとした気持ちで和尚の仕立ててくれた寺駕籠《てらかご》にうち乗りながら、ずっと道をお濠《ほり》ばたへ出て、あれから一本道をお茶の水へさしかかろうとすると、はしなくもその道の途中で、今回の第九番てがらとなるべき糸口にぶつかったのでありました。右門のそこを通り合わせたことが、それも父親のご命日に偶然とはいいながら、えりにえってそこを通り合わせたんだから、これも何かの因縁といえば因縁ですが、いずれにしても、右門にとってはまったく予期しないできごとでした。
「あッ、ちくしょう! だんな! 首っつりですよ! 首っつりですよ!」
発見したのはお供の先棒でしたが、心魂を打ち込んで石を囲んだ疲れのために、ついまどろむともなくまどろみながら、駕籠にもたれてとろとろやりだしたその出会いがしらに、突然お供が悲鳴をあげて右門を呼び起こしたものでしたから、ぎょっとなって、たれをはねのけながらやみをすかすと、なるほど、十間とへだたないそこの木の枝に、黒い影がだらりと見えたのです。しかし、よくよく見ると、ほんのいましがたやったものか、まだ手や足をひくひくさせていたものでしたから、駕籠をとび出すと同時でした。
「だいじょうぶ! まだ息があるぞ! 足場にするから、駕籠をもってこい!」
寺駕籠のお陸尺《ろくしゃく》にも似合わないで、もう歯の根も合わずにがたがたと震えているお供の者をしかり飛ばしながら、急いで木の下へかけつけると、ようやくさげてきた寺駕籠をふみ台にして、ともかくも大急ぎに本人を地上へ抱きおろしました。当人はまだ二十三、四ぐらいの、どこかお店者《たなもの》らしい若者でしたが、遠目に見届けたときのとおり、おりよくもそのときが断末魔へいま一歩という危機一髪のときでしたが、まだ肢体《したい》にぬくもりがありましたので、そこはもうお手のもの、術によって急所に活を入れると、徐々に息をふき返しましたものでしたから、普通の者ならばただちにその場で、事の子細を問いただすのがありきたりの型ですが、そこがむっつり右門の少し人と違うところでありました。顔の形相こそ、今の苦しみのためにまだ青ざめていましたが、その他の風采《ふうさい》をうち見たところ、ひと目に実直なりちぎ者ということがわかったものでしたから、当人には何もいわずに、すぐと駕籠の者に命じました。
「どうせ八丁堀へ行く駕籠だ。おれの代わりに、この若者を乗せていけ」
息を吹き返しているとはいいじょう、ついいましがた地獄の二丁目か三丁目あたりまで行ってきた人間を乗っけていけというのでしたから、いかに仏と縁の深い寺駕籠の陸尺たちであっても、これはあまりぞっとしない命令のはずでしたが、しかしむっつり右門の名声は、かれらにいやな顔をさせる余地のないほど広大でありました。深夜の町を黙々として八丁堀まで送り届けましたので、くだんの若い者を座敷へ伴っていくと、そこでようやく事の子細を尋ねることになりましたが、けれどもその尋ね方がまたまことに右門流です。
「どうだ、まだ死にたいか」
そして、からからとうち笑ったものです。その尋ね方のよく人情の機微をうがって少しもむだ口をきかないあたりといい、ことばは簡単ながらなおよく言外に義侠心《ぎきょうしん》の強さをはらましているあたりといい、普通の場合の人間であっても、ぐっと骨身にこたえるところでしたから、くだんの若者にとっては右門のたのもしそうなその一言は、なおさら心魂をゆりうごかしたことだったでしょう。もうたまらないといったように、わっとそこへ男泣きにくずれ伏しましたものでしたから、すかさずに右門が、なおいっそうのたのもしさと侠気《きょうき》とを言外に含めて、男の悲しみと苦痛を、その大きな胸へ抱き包むように尋ねました。
「もうよい、もうよい。わしという人間がどういう人がらの男であるか、それがわかってのことであろうから、もう泣くのはよして、かくさずに胸のうちを物語ったらどうじゃ」
しかし、男は嗚咽《おえつ》をつづけたままで、ただ身をよじるばかりでありました。告白するのが身の恥辱となるような内容ででもあるのか、それとも口外してはならぬようなことがらででもあるのか、じっと歯をくいしばるようにして、男泣きに泣きつづけながら、いつまでも子細を物語ろうとしなかったものでしたから、たいていの者ならばせっかく命を救ってやったのにと思って、いいかげん腹をたてるところでしたが、しかし口外せねば口外しないで、右門にはまた右門にのみ許された手段と明知という鋭い武器があります。しかも、それがまた右門にとってはまことによい偶然でしたが、身をよじって泣き入っているうちに、ふと男の懐中からはみ出して、はしなくも今いった右門のその鋭い明知の鏡に、ちらりと映った一品がありました。それも尋常一様の品物ではなく、一見して女の持ち物であったことを物語るなまめかしい紙入れでしたから、なんじょう右門のきわめつきの鋭知がさえないでいられましょう。さては女出入りが原因だなと、ただちにだいたいのめぼしがついたものでしたから、すばやく片手を伸ばすと、奪いとるようにして取り上げながら、鋭く若者にいいました。
「こんな品物、何用あって冥途《めいど》まで持参するつもりじゃった」
「あッ。いけませぬ! いけませぬ! そればかりは、どなたにも見られてはならぬ品でござりますから、お手渡しくださりませ! お手渡しくださりませ!」
取られたことをはじめて気がついて、若者がにわかにおどろきうろたえながら、必死に奪い返そうとしたものでしたから、いっそう疑惑のつのった右門が、どうしてそれを許すべき――。少し手荒なしうちとは思いましたが、この一品になにもかも事の子細の秘密がかくされていると思いましたので、十八番の草香流をちょっと用いて、なるべく痛くないように、だがけっして抜き取ることのできないように、術をもって若者の両手をおのがひざの下に敷いておくと、すばやく紙入れを改めました。
けれども、予期に反して、その紙入れの中にはただ一本の銀かんざしがだいじそうに忍ばされてあるばかりでした。何か子細をかぎ知りうるような女からの艶文《つやぶみ》だとか、ないしはまた誓紙証文とでもいったようなものでもありはしないかと、心ひそかに予期していたのでしたが、ただ一本銀のかんざしがすべてのなぞを物語っているように、奥深く隠されてあったばかりだったのです。だか、その銀かんざしがなみなみの品ではないので、珍しい紋がきざまれてありました。達磨《だるま》の紋です。師僧|般陀羅《はんだら》の遺示により、はるばるインドから唐土に渡って、河南のほとり崇山に庵室《あんしつ》をいとなみながら、よく面壁九年の座禅修業を行ないつづけたと伝えられている、あの達磨禅師をかたどった紋様です。
およそ何が珍しいといっても、おきあがりこぼしの達磨を紋にしておくような変わったかんざしもまれでしたから、早くも右門は明知の鋭さをそこに現わして、ひざに敷いている若者の心をえぐるようにいいました。
「よし、もうなにもかもあいわかったから、そなたの秘密をこのうえ聞こうとはいわぬが、そのかわり爾今《じこん》けっしてさきほどのような人騒がせのまねはせぬと誓約するか。さすれば、必ずともにわしがそなたの相談相手となってしんぜるが、どうじゃ」
いかなる難解の事件も、いかに秘密の堅い殻《から》に包まれたできごとであっても、いったん八丁堀のむっつり右門がこれに手を染めた以上は、あくまでも解決しないではおかぬといったように、侠気《きょうき》とたのもしさとをその目に物語らせながら、ぎろり若者の面を見すえたものでしたから、ようやく男も安心と決意がついたのでしょう。おろおろして、嘆願するように念を押しました。
「では、ほんとうにもう、てまえに子細をきかぬとお約束してくださりまするか」
「男の一言じゃ、くどうきかぬというたら断じてきかぬ」
「ありがとうござります。それならば、けっしてもうわたくしも、あのようなバカなまねはいたしませぬ」
「よしッ。では、この紙入れもそなたに返してつかわすによって、しっかり残り香なと抱き締めて、もうやすめ」
いちばんの懸念だった自殺のおそれがないと見きわめがついたものでしたから、右門も少しほっとなって若者の傷ついた魂を一刻も早く休息させてやるために、みずから夜具の用意をととのえてやりました。
おりからそれを待っていたもののごとく、いよいよ秋のふけまさった庭の草間で、ちち、と身にしみ入るごとく鳴きだした虫の声に、魂の傷つけられた若者はさらにひとしお世のはかなさをおぼえたものか、いくたびも輾転《てんてん》と床の中で寝返りを打っているけはいでしたが、みずからの明知を信じ、みずからの力量を信ずることの厚い右門は、憎いほどの安らかさを示して、いつかもう軽いいびきの中でした。
2
さて、そのあくる朝です。
いつものごとくおしゃべり屋伝六が、年じゅう忙しくてたまらないといったふうに、せかせかしながらやって来ると、しょうぜんと顔の青ざめた見知らぬ若者が、おどおどしながらへやのすみにうずくまっていたものでしたから、よほど不意を打たれたとみえて、遠慮もなく例のお株を始めました。
「おや、妙な若いお客人が天から降っていますね、だんなのご親類ですかい」
知らない男の顔をみると、すぐに親類と決めてしまう伝六も、およそ血のめぐりのよろしくない男といわねばなりませんが、しかし右門はいまさらそんなむだな質問に答うべきはずもありませんでしたから、伝六の来合わしたのと同時に、すぐさま外出のしたくをととのえました。それがまた、きょうはどうしたことか、黒羽二重五つ紋の重ね着を着用に及んで、熨斗目《のしめ》の上下こそつけね、すべての服装が第一公式のお武家ふうでしたものでしたから、うるさいことにまた伝六が、血のめぐりのよろしくないところを遺憾なく発揮いたしました。
「はてな、きょうは何かご番所に寄り合いでもござんしたかな――」
しきりと首をひねっていましたが、右門はひとことかんたんに前夜の若者へ外出を禁じておくと、いよいよこれから右門流の行動を開始するといわぬばかりに、さっさと表のほうへ出てまいりました。
しかも、出るといっしょにその目ざした方角は、意外や吉原《よしわら》の大門通りです――。誤解があるといけませんから、ちょっと地理についての説明をしておきますが、ここで申しあげる吉原は、むろん現在の新吉原ではないので、特に新吉原と新の字がついているように、現今の吉原は明暦三年の江戸大火以後いまの土地に移転したことになっていますか
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