ずしながら先へたって、どんどん歩きだしたものでしたから、いろいろに態度を使い分ける伝六のかわいさに右門はいっそう苦笑しながら、ちょうどそこに見つかった尾張屋という揚げ屋へはいってまいりました。
 ――これもついでだから申し添えておきますが、当時はまだ現今のごとく揚げ屋と遊女屋が一軒ではなく、別々に営業を行ない、揚げ屋にはまた多くの場合同屋号のお茶屋がこれに付随していて、大通なお客はまず先にこのお茶屋へ上がり、敵娼《あいかた》となるべき人を遊女屋から招きよせて、しまり屋はしまり屋のごとくに感興を買い、はで好きはまたはで好きのように感興を買ってからはじめて揚げ屋へ参り、それぞれの流儀に浩然《こうぜん》の気を養うというのがその順序だったので、けれども右門はその他のすべての方面においては大々通であっても、この一郭ばかりはやや苦手でしたものでしたから、いきなり揚げ屋へとび込んでまいりました。しかも、そのあいさつたるや、またすこぶるぶこつの右門流だったのです。
「許せよ。少々遊興をいたしに参ったが、さしつかえはなかろうな」
 揚げ屋へ参る以上は遊興すると相場が決まっているのに、それをごていねいに断わったものでしたから、これには向こうもひどくめんくらった様子でありましたが、よくよく見れば黒羽二重五つ紋の高家ふうで、やや少しがらっぱちながら、ともかくもそこにはお供をひとり召し連れていたものでしたから、なまじっかな半可通よりこのほうがだいじなかも[#「かも」に傍点]と思いましたものか、たいへんなもて方でありました。
 しかし、右門はあいかわらずのぶこつまる出しで、いわゆる通人がきいたら笑うに耐えないようなことを、揚げ屋の者に尋ねました。
「女どもの種類はみな一様か」
「いえ。すべてでは千人あまりもござりましょうが、そのうちで太夫《たゆう》、格子《こうし》、局女郎《つぼねじょろう》なぞと、てまえかってな差別をつけてござります」
「ほう。では、遊女らも禄高《ろくだか》があるとみえるな」
 遊女に禄高とはよくいったものですが、右門はおおまじめでしたから、揚げ屋の者は吹き出したいらしいところを必死ともみ手にごまかして、目的の中心へはいっていきました。
「ですから、お客さまのほうのお鳥目にしたがいまして、遊女のほうでもそれぞれの禄高のものが参りますが、どなたかおなじみでもござりましょうか」

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