ら、この話の当時の吉原は、いわゆるもと吉原と称されている一郭です。和泉《いずみ》町、高砂《たかさご》町、住吉《すみよし》町、難波《なんば》町、江戸町の五カ町内二丁四方がその一郭で、ご存じの見返り柳がその大門通りに、きぬぎぬの別れを惜しみ顔で枝葉をたれていたところから、いき向きの人々はときに往々、柳町なぞとも隠し名にして呼んでいましたが、いずれにしても堅人たること天下折り紙つきのむっつり右門が、それも無粋といえば無粋な黒羽二重の五つ紋といういかめしい武家ふうの姿で、駕籠《かご》もうたせず、おひろいのまま、さっさとその大門をくぐって廓《くるわ》へはいりましたものでしたから、伝六がついにみたびめのうるさい質問を発しました。
「ちょっと待ってください、待ってください。廓へおはいりになるのはよろしゅうござんすが、まさかに、この朝っぱらからお遊びなさるんじゃござんすまいね」
実際、いちいちうるさいおしゃべり屋ですが、しかしまた一面からいえば無理もないのです。流連《いつづけ》大バカ、朝がえり小バカ、いきは昼間のないしょ遊びと番付はできていても、なにしろまだ五つといえば午前の八時なんだから、そんな時刻に大手をふりふり、さもお役所へ勤めにでも行くような気組みをみせて、どんどんと大門をくぐっていったものでしたから、一面からいうと伝六のうるさくなるのも無理のないことでしたが、すると右門がうそうそと笑いながら、おどろくべきことをぽつりといいました。
「廓《なか》へはいる以上は、遊ぶと決まっているじゃねえか。おれとて、石や木じゃねえんだからな」
のみならず、ほんとうに遊ぶけはいで、どこにしようかというようにあたりを物色しはじめたものでしたから、とうとう伝六がうわずった声を出してしまいました。
「そりゃだんな、ほんとうですか!」
「ほんとうだよ」
「きっとですね!」
「きっとだよ」
と――。聞き終わったそのとたんです。何を考えついたか、伝六が突然まっさおな顔になって、ややしばしからだを震わせていましたが、不意に変なことをいいました。
「だんな、あっしゃもう帰らしていただきます」
がらにもないおびえを見せたものでしたから、今度は右門のほうが不思議に思ったので――
「バカだな、いざとなっておっかなくなったのかい」
「いいえ、ちがいます」
「じゃ、うちへけえって、おめかしをし直して来ようとい
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