の着付けで、素足に日傘《ひがさ》をもったくし巻きのすばらしいあだ者が、向こうへ行くじゃねえか」
「な、な、なるほどね。どうやら堅気の女じゃねえ様子だが、あいつに目を放さなかったら、暑気当たりの薬にでもなるんですかい」
「よくも口のへらないやつだな。ひょうきん口をたたいている場合じゃねえんだよ。ずいぶん暑い思いをさせやがったが、あのあだ者が、今うわさに高いくし巻きお由にちげえねえんだ」
「えッ、くし巻きお由……? くし巻きお由っていや、きんのうもご番所でやつのうわさが出ましたっけが、この節浅草を荒らしまわる女すりじゃござんせんかい」
「だろうとにらんだればこそ、目を放さずにいろといってるんだ」
「でも、深川のまま母は、あいつじゃござんせんぜ」
「うるせえや、見てろといったら見ていろい!」
はげしくしかりつけましたものでしたから、無我夢中ながら伝六も必死に目を放さないでいると、くし巻きお由と目ききされたそれなる疑問のあだ者は、どうしたことか、手にちゃんと日傘をもっているくせに、それをすぼめたままで、ごった返している人込みの間を右に左に縫いながら、仲みせを奥へ小急ぎに行ったようでしたが、と、ちょうど仁王門《におうもん》の手前――その手前までさしかかったところで、はしなくも向こうから日本橋あたりのお店者《たなもの》らしい若い男が、お参りをすまして帰ってきたのに行き合わせると、うしろに慧眼《けいがん》はやぶさのごときわがむっつり右門が控えているとも知らずに、女はまずにっとばかりそれなる男に向かって、ひと目千両の媚《こび》をつくってみせました。と、お店者のたちまちぐんにゃりとなってしまったのはもちろんのことで――、ありがてえッ、気があるな、というようにとろんとなったところへ女はふうわり軽く近づくと、涼しい声でこんなふうにいったものでした。
「ご信心ですことね」
しかし、いったそのとたんです。果然、疑問のあだ者は、右門の目ききしたとおり、いま江戸で売り出しのくし巻きお由であったとみえて、そのわざの早いこと、早いこと!――目にも止まらぬすばしっこさで、しなやかに美しい指先がぽんとお店者の胸をたたいたとみるまに、早くも懐中のぽってりと小判をのんでいるらしい一物はするり女の手先にすられて、音もなく左手のすぼめて持っている日傘の中にすべりおちました。
「ちくしょうッ。器用なまねをしやがるね」
だから、むろん伝六は御用にすることとばっかり思い込んで、勢い込みながら身を浮かそうとすると、しかるに右門は、意外な行動を突如としてまた取り出したのです。とっさに目顔で伝六を制しておいて、にやにや笑いながら女のあとを追っていったようでしたが、人込みのとだえた観音裏までつけていくと、ぽんと軽く女の背中をたたきながら、さわやかにいったもので――。
「ちょいと、お由さん! 妙なところでお目にかかったもんですな」
「えッ!」
不意に自分の名を呼んで、しかもそこにりゅうとしたいい男の若い侍がなれなれしげに立っていたものでしたから、くし巻きお由の目をぱちくりとさせたのはいうまでもないことでしたが、右門はそのおどろきを見流しながら、莞爾《かんじ》とばかりにうち笑《え》むと、いっそうのさわやかさでいったものでした。
「おうわさじゃ聞いていましたが、あんなに器用な腕まえたあ思いませんでしたよ」
「えッ……まあ、突然――突然なんのことでございますかね」
「いいえ、なにね、今そこの日|傘《がさ》の中にちょいとこかし込んだしろもののことですがね」
「えッ!」
ぎくりとなって、やや青ざめながらおもわずあとずさったのを、右門は心持ちよさそうに見ながめながら、くすりと一つえくぼをみせると、おちつきはらっていったもので――。
「まあ、あたしの顔をよくごらんなさいましよ」
すると、くし巻きお由は、と見つ、こう見つ、右門のからだを上から下へ見ながめていましたが、さすがは彼女もそれと江戸に名を売ったかせぎ人だけのことはあってか、青ざめた顔に引きつったような笑いをむりに浮かべると、伝法な口調で悪びれずにいいました。
「――そうでござんしたか。男も参るほどの殿御ぶりと、かねがねおうわさに聞いちゃいましたが、じゃむっつり右門のだんなでござんしたね。そうとは知らず、お出回り先を汚して、お目こぼしをといいたいが、あたしも新まいながらくし巻きお由でござんす。だんなのようないい男のお手にかかるならせめても女|冥利《みょうり》でござんすから、さ、ご随意におなわをかけなさいましな」
だから、じゃ、といって、すぐにも伝六へなわさばきを命じでもするだろうと思われたのに、意外なことに、むっつり右門はさらに莞爾《かんじ》とうち笑《え》むと、涼しげにいったものです。
「ところが、どうして、筋書きがそう定石どおりにいかねえんだから、人見知りはしておきたいものだね。実あ、お由さんの今のあの器用な腕まえをちょっとばかり見込んで、特にお頼みしてえことがあるんだがね」
「えッ……。だんながあたしに……?」
「さよう。そのために、この暑いさなかをわざわざ八丁堀から出張ったんですがね」
「まあ、近ごろうれしいことをおっしゃいますわね。そう聞いちゃ、あたしもくし巻きお由ですもの、その意気とやらに感じまして、どんなお仕事かひとつお頼まれしてみましょうかね」
「さすがは名をとった人だけあって、わかりがはええや。実は、今のあの器用なまねを逆にやってみせてもれえてえんだがね」
「え? 逆……? 逆というと」
「知れたことじゃござんせんか。ふところに品物をねじ込むんですよ、今のは器用にすり取ったようだがね。逆といや、つまり、あれをあべこべに、ふところへ品物をねじ込むんでさあ。むろんのこと、相手には気のつかないようにね」
「ああ、そんなことなら……」
お茶の子さいさいですよといわないばかりに、ちょっとお由は考えていましたが、そこにおしゃべり屋伝六がいよいよいでていよいよ奇怪な右門のしぐさに、目をさらにしながらぼんやりとつっ立っていた姿をみると、不意ににっこりと笑いながら近よっていったもので――。
「ね、こちらのだんな。そら、そこのえり首に、大きな毛虫がはってますよ」
「えッ、毛、毛虫? 毛虫……?」
不意でしたから、悲鳴をあげて伝六が飛び上がったのを、お由は目もとであだっぽく笑いながら制すると、静かにまたいいました。
「いいえ、えりじゃない、ふところですよ」
と――、なんたる早わざなりしか、さらにうろたえて伝六が懐中に手を入れてみると、今までたしかに日傘の中に忍ばされていたと思われたあのお店者《たなもの》からすり取った紙入れが、もういつのまにか位置を換えて伝六の懐中にねじ込まれていたものでしたから、伝六も二度びっくりしましたが、期したることながら右門の舌を巻いたのも当然で、ついおもわず賛嘆の声を発しました。
「名人わざだ、名人わざだ。さすがは見込んでお頼みに来ただけのものがありますね――じゃ、今の調子で、この品物をねじ込んでもらいますかな」
そして、いうと、出がけにでもちゃんともう用意してきたものか、ふところから取り出したものは、厳封をした十四、五本ばかりの書面でありました。
「あら! 少しこれじゃ役割がひどうござんすのね。あたしを使って、箱入り娘にでもつけぶみをさせるんでござんすか」
だから、お由はすぐとそう取って、あたしだってもめったにひけを取らないあだ者ですよ、というように、ちょっと目もとをいろめきたたせましたが、しかるに右門がまずあれに一本と命じた相手は、いうがごとくどこかの箱入り娘ででもあろうと思いのほかに、これはまたなんたる意外ぞや、そこに店を張っていたじじむさい天神ひげの八卦見《はっけみ》だったのです。しかも、右門がお由に例の神わざを命じた相手の八卦見は、そこに居合わしたひとりばかりではないので、あちらこちらと捜しながら境内《けいだい》に居合わした全部で七人の八卦見たちに、一本ずつおまじないを施さしておくと、駕籠《かご》を命じてお由をも従えながら飛ぶように駆けつけさせたところは、神田明神の境内でありました。そこで同じように売卜者《ばいぼくしゃ》を見つけて、また三本ばかりふところにおまじないを施させておくと、さらに駆けつけさせたところは問題の深川|八幡《はちまん》で、その境内に居合わしたふたりの風体よろしくない八卦見たちにも同様に目まぜでお由に命じ、例の一本ずつをふところへ敏捷《びんしょう》にねじこませておくと、右門はさっさと駕籠《かご》を八丁堀へ帰させて、家へ上がるやお由の目をそばだてたのもかまわずに、さっとばかり胸をくつろげながら、わだかまりなくいったものでした。
「おう、暑い! 見る者はあっしとこの伝六ばかりだから、ご遠慮なくお由さんも薄着におなんなせえな」
おなんなせえなといったって、なにをいうにも若い男をふたりも目の前にしてのことなんだから、冗談にもそんなだいそれた薄着なんぞになれるものではないのだが、蒸し返すような炎熱はがまんにもしんぼうができなかったとみえて、それにその筋のおだんな衆がちゃんとそばについていて、いいというお許しが出たものだから、ついお由も心がゆるんだものか、水色麻の長じゅばんをなまめかしくちらちらさせると、くつろげるともなく胸のあたりを少しばかりくつろげました。――むろん、雪のはだえは瑠璃色《るりいろ》にしっとり湿気を含んで、二九まさるはたちばかりの今ぞ色濃き春のこころは、それゆえにひとしおあだめかしい髪のくし巻き姿とともにいちだんのふぜいを添えて、魂までもあの世の遠くへ抜け出ていきそうななまめかしさでしたが、しかし相手は折り紙つきのむっつり右門でしたから、ちらりとそれを横目に見流しただけで、至極さばさばとした顔をしながらくるり伝六のほうへ向き返ると、くすくす笑いわらい、いたってあっさりといいました。
「おどろいたかい」
「ちえッ。あんまり人をいじくりなさんな。あっしゃもう無我夢中で少し腹がたっているんですよ」
「じゃ、お由さん、まだ二、三本手紙が残っているようだから、このかわいそうな気短者に、おまじないの種をみせてやっておくんなさいな」
応じて、お由が残った中から一本をとって伝六のほうへ投げやったものでしたから、取る手おそしと封を切りながら、目を吸いよせられて読み下したようでしたが、同時におもわず伝六はあッと叫びました。――書中には次のごとき文書がかきしたためてあったからです。
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――いつぞやは深川八幡境内にてご難役お頼み申し深謝このところにそうろう。おかげにて、あれなる浪人者は望みどおりの結果とあいなりそうらえば、それにつき改めてお礼の品なぞさし上げたくそうろうあいだ、こよい五つ半までに日本橋たもとへお越しくだされたく、右要用まで。いつぞやお頼みの者より。
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――これではいかに伝六がうっそりといえども、はっきりと右門のいぶかしかった今までの行動が読めたものでしたから、額をたたかんばかりにしていいました。
「なるほどな。さすがだんなのやることだけあって、芸がこまかいや。じゃ、なんですね、このおまじないをおとりに使って、まずあのときの八卦見の野郎をおびき出そうというんですね」
「あたりめえよ。人相とか年かっこうでもわかっていりゃ、こんなまわりくどい捨て石なんか打たなくたっていいんだが、ただ深川の八幡にいた八卦見といっただけじゃ、どうせあいつらは渡り者なんだもの、どれがどいつだかわからんじゃねえか。だから、きょうだけの捨て石じゃ獲物がかからねえかもしれないよ。江戸にいる八卦見の数は、あれっぽちじゃねえんだからな」
「その心配ならだいじょうぶ。おらがだんなのやるこっちゃござんせんか。いますよ、いますよ。きっとあの十二匹のうちにいますぜ。それに、渡り者といったって、あいつらにもなわ張りはあるんだからね。思うに、あっしゃ深川の境内に今もまだいるんじゃねえかという気がするんですがね」
「そうばかり問屋でも卸すめえさ。――だから
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