右門捕物帖
なぞの八卦見
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)文月《ふみづき》七月です。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)名古屋|山三《さんざ》

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 今回はその第六番てがらです。
 事件の端を発しましたのは、前回のにせ金事件がめでたく大団円となりましてから約半月ほどたってからのことでしたが、半月のちといえばもちろんもう月は変わって、文月《ふみづき》七月です。ご承知のごとく、昔は太陰暦でございますから、現今とはちょうどひと月おくれで、だから七月といえば、まさに炎熱のまっさいちゅうです。それがまたどうしたことか目もあてられない酷暑つづきで、そのときのお奉行所《ぶぎょうしょ》お日誌によると、この年炎暑きびしく、相撲《すもう》取り的にて三人蒸し死んだるものある由、と書かれてありますから、それだけでもどのくらいの暑さだったかが想像がつくことと思いますが、わがむっつり右門とて生身の人間である以上、暑いときはやっぱり人並みに暑いんだから、西日がやっとかげっていくらか涼風の出かかったお組屋敷のぬれ縁ぎわに大あぐらをかきながら、しきりとうちわを使っていると、大いそぎで今お湯をすましたばっかりといったかっこうで、せかせかと裏庭口から姿を見せたものは、例のおしゃべり屋伝六でありました。それというのは、いつまでたっても変人の右門が、もう少しこのほうだけは人並みすぎるほうがいいと思われるに、いっこう、女げをよせつけようとしないものですから、右門のこととなるとむやみと世話をしたがる伝六が、このごろずっとお通いで、朝晩のお勝手を取りしきっているからのことですが、だからわが家のごとく無遠慮に上がってくると、いっぱしの板番になったような顔つきで、ざっくばらんに始めました。
「米びつがけさでからだから、清水屋《しみずや》の小僧が来たらおいいなせえよっていっといたはずですが、まさかお忘れじゃねえでしょうね」
 すると、右門という男は、どうもどこまで変わり者だか、すましていったものです。
「ねぼけんない。おらそんなこたあ知らねえよ」
「えッ。ねぼけんないっですって……? あきれちまうな。だんなのおなかにへえる品物ですぜ」
「でも、きさま、おれがきのうこの暑っくるしいのに河岸《かし》の物ばかりでも気がきかねえから、たまにゃ冷ややっこでも食わせろといったら、ご亭主っていうもな、お勝手のことなんぞへ口出すもんじゃねえっていったじゃねえか」
 ほんとうにきのうそんなことをいったものか、めったにしっぽを巻いたことのない伝六も一本参ったとみえて、頭をかきながら苦笑いをしていましたが、するとちょうどそのときでありました。不意に、するすると忍び込みでもするかのように表玄関の格子戸《こうしど》があいたんで――。
「おやッ、変なあけ方をしやあがるな。いかにむてっぽうな野郎でも、まさか右門のだんなのところへ、こそどろにへえろうなんてんじゃあるめえね」
 夕暮れどきではあり、いかにもそのあけ方が少しおかしかったものでしたから、いぶかって伝六が出ていったようでしたが、まもなく引っ返してくると、いつもの口調でやや不平がましく、不意に変なことをがみがみといったものでした。
「ねえ、だんな、あっしゃこれでも、だんなのためにゃ命までもと打ち込んでいるつもりなんですが、まさか急にだんなは、あっしにみずくさくなったわけじゃござんすまいね」
「やぶからぼうに、おかしなことをからまってくるが、いったいどうしたのかい。米俵でも玄関にころがっていたのかい」
「しらきりなさんな。だんながその気なら、あっしもその気で考え直しますが、そもそもいってえ、いつのまに、あんな女の子を手なずけなすったんですかい」
「え……? 女の子?」
「え、があきれまさあ。いくらだんなが変わり者だからって、あれじゃまだせいぜい九つか十ぐれえにしかならねえんじゃねえですか。それとも、今からあんなちっちぇい娘を予約でもしておくんでげすかい」
「変なことばっかりいうが、そんな小娘でもたずねてきたのかい」
「来ただけじゃねえんだから、あっしゃみずくせいっていってるんですよ。ね、せっかくあっしがああやってわざわざお出迎いにいってやったのに、ちくしょうめ、おかしなまねをしやがって、あっしの顔みるてえと、じゃまなやつが出やがったなんていうようなつらしながら、赤くなってまた逃げてきましたぜ」
「ほんとうなら、少し変だな」
「だからこそ、いつあんな小娘を手なずけたんですかって、きいてるんじゃござんせんか。もうあんな色っぽい手管おぼえやがって、それとも、だんながあっしの顔みたら逃げてかえれとでも悪知恵つけておいたんですかい」
 相手はなにしろまだ九つか十ぐらいの小娘なんでしたから、たとえどんなに色っぽくまっかな顔になって逃げかえったにしても、それをただちに右門とおかしな仲ででもあるかのように思う伝六もちっと酔狂がすぎますが、しかしその報告がもし事実としたなら、相手が小娘だけに、右門も少しいぶかしく思ったので、もう一度たずねてくるかと心待ちに待ちました。
 しかるに、この奇怪なる来訪者は、右門の予期を裏切って、いぶかしきなぞの雲に包まれたまま翌日となりました。翌日もむろん前日にまさる炎暑でしたが、勤番は半日交替で午前中にひけるはずでしたから、伝六の怪しげなる腕まえによって調理された朝食を喫すると、あまりぞっとしない顔つきで、むっつりとしながら出仕いたしました。例のようにすぐと訴訟箱をひっかきまわしてみたが、いっこう目ぼしい事件もございませんので、屈託げにあごのひげをまさぐっていると、かれこれもうひけどきに近いお昼ごろのことです。伝六があたふたと駆けつけていったもので――。
「ねえ、だんな。ちっとどうもおかしいじゃござんせんか。ゆんべ八丁堀のほうにやって来たあのちっこい小娘が、まただんなを名ざしてたずねてきましたぜ」
 名ざしといったものでしたから、ますますいぶかしさをおぼえまして、すぐと右門が立とうとすると、しかし伝六が押えていいました。
「まちなせえよ、まちなせえよ。そんなに目色をお変えなすったってだめですよ。ね、小娘のくせに、いよいよもって、どうもふざけたまねしゃがるじゃござんせんか。今はらちがねえにしても、五、六年たちゃそろそろ年がものをいうからね。だんなに気があるならあると、すなおにいやいいのに、あっしの顔みたら、またまっかになって、いちもくさんに逃げてきましたぜ」
 と――、聞き終わるやいなや、むっつり右門がどうしたことか莞爾《かんじ》とばかり微笑を見せていましたが、まもなく例のごとくにかれ一流の意表をつく命令が、疾風迅雷的にその口から放たれました。
「な、伝六! きさま清水屋にお糸っていう小娘のあること知っているな」
「え? 知ってますよ。知ってますが、清水屋っていや米屋じゃござんせんか。お米ならもうとうにゆんべまにあいましたぜ」
「米に用があるんじゃねえんだ。娘のお糸に用があるから、ひとっ走りいって、ちょっくら借りてこい!」
「あきれちまうな。そんな小娘ばっかり集めなすって、鬼ごっこでもする気ですかい」
 少しも右門のやることに予測がつかなかったものでしたから、正直一点の伝六が首をひねったのは当然なことでしたが、しかるに本人の右門のほうはいよいよいでていよいよ不審だったのです。ひと足先にお組屋敷へかえって、ゆうゆうと寝そべっていましたが、伝六が汗をふきふき米屋の小娘を伴ってきたのを見ると、急に目を細めながらいいました。
「ね、お糸坊。おまえこないだっから、おじさんが好きだといったな」
「ええ、大すきよ。絵双紙でみた名古屋|山三《さんざ》そっくりなんだもの――」
 この少しこまっちゃくれた下町娘は、もうよほど右門とはなじみとおぼしく、いささかもはにかみを見せないですぐと答えましたものでしたから、右門がいよいよ伝六の目を丸くするようなことを平然としていいました。
「じゃ、きょう一日おじさんの子どもにならんかい」
「いちんちだけなの……?」
「ああ。だけど、おまえがもっと幾日もなりたいというなら、してあげてもいいよ」
「じゃ、なりましょう! なりましょう!」
 すばらしく勇敢に、すぐと答えましたものでしたから、伝六がとちめんぼうのような顔つきをしていると、反対に右門はにやにやとやっていましたが、まもなくそこに碁盤をさげ出しながら、すましきっていいました。
「じゃ、さっそく、これからおはじきを始めるからね」
 そういうと、ほんとうにお糸坊を相手にしながら、もうぱちぱちとおはじきをやりだしたもので、しかもなにがそんなにおもしろいものか、あきもせずに夕がた近くまで同じことを繰り返し繰り返しやっていたものでしたから、伝六がとうとうお株を始めました。
「らちもねえことするにもほどがごわさあ。くそおもしろくもない、あっしゃもうけえりますよ」
「そうかい。けえりたきゃけえってもいいが、でも、すぐとまた来なくちゃならんぜ」
 それを意味ありげに引き止めながら、しぎりと右門はお糸を相手に興がっていましたが、やがてまもなくのことです。そろそろたそがれが近づきかかったのをみると、突然お糸をこかげに招いて、耳へ口をよせながら、なにやらこまごまと秘策をさずけました。
「まあ、そう。ええ、わかりました、わかりました。おもしろいのね」
 すぐと了解がついたものか、きゃっきゃっといって、お糸坊は丸くなりながら表へ駆けだしたようでしたが、四半ときばかりもたつと、これは意外! ふるえながら青ざめている同じくらいのいじらしい小娘をもうひとりそのうしろに伴って、てがらをほこり顔に、にこにこしながらかえってまいりましたものでしたから、ひと目見るやいなや、あッとばかり伝六が目をさらにしてしまいました。
「ね、だんな! ね、だんな! こ、こりゃ、ゆうべときょう、だんなをたずねてきたあの小娘じゃござんせんか」
 すると、右門が涼しい顔をしていったものです。
「そうさ。まさに判然とあの小娘だよ。どうだい、おまえの胸も、ちっとはすっとしたろう」
「しました、しました。富士の風穴へでもへえったようですよ。さすがはだんなだけあって、やることにそつがねえや。なるほどな。じゃ、なんですね、きのうからのこの小娘のそぶりをお聞きなすって、ひと事件《あな》あるなっとおにらみなすったんですね」
「あたりめえよ。わざわざ右門を目ざしてたずねてきたのもおかしいが、二度もたずねて二度とも帰ってしまったなあ、恥ずかしいよりもよくよくでかい事件なんで、訴えることがおっかねえんだなとにらみがついたから、きょうもてっきりまたたずねてくると思って、子どもは子どもどうしに、お糸坊をちょっとえさに使ったんだ。――な。嬢や、さ、いってみな。このとおり、もうおじさんがついているからにゃ、鬼の首だって取ってあげるから、隠さずにいってみなよ」
 いうと、いたいけなその小娘は、案の定よくよく思いあまっていたこととみえて、右門のそのたのもしい一言に、ほろりと一つたまりかねたようなしずくを見せていましたが、やがてぽつりぽつりと、事のあらましを訴えました。
 それによると、このいじらしい小娘の父親は、もと中国筋のさる藩中で、ささいなことから君侯の怒りにふれて浪々の身となり、もう半年ほどまえから深川|八幡《はちまん》裏に継母と三人暮らしのわび住まいをしていたのだそうですが、十日ほど以前のある晩、父親が突然不思議な死に方をしたというのです。なんでも、日ごろからたいへんな迷信家で、ことごとにご幣をかつぎ、浪々の身となって深川に住むようになったことも、男は占い者のことばのうちに、辰巳《たつみ》の方角へ住まいをしたらふたたび運が開けるだろうという注意があったためからのことだったそうでしたが、しかるに殿の勘気はいっこうにゆるまず、さらに開運のきざしをすら見せなかったので、新たに八幡
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