るところへ、ショッワッ、ショッワッ、ショッワッ――という声、不思議なことに、江戸の三社祭りのもみ声となると、必ずまたきまってワッショッワッショッとは聞こえないで、ショッワッ、ショッワッとさかさまに聞こえるから奇妙です。だから、もうこうなればお国なまりの二本差しも珍しいので、先になって、足を踏まれたぐらいは問題でないので。かくするうちにも、山王権現のおみこしは、総江戸八十八カ町の山車《だし》引き物、屋台を従えながら、しずしずと、いや初かつおのごとく威勢よく竹橋ご門外に向かって、お矢倉さきにさしかかってまいりました。
将軍家光公はもちろんもう先刻からのおなりで、五枚重ね朱どんすのおしとねに、一匁いくらという高直《こうじき》のお身おからだをのせながら、右に御台《みだい》、左に簾中《れんちゅう》、下々ならばご本妻におめかけですが、それらを両手に花のごとくお控えさせにあいなり、うしろには老女、お局《つぼね》、お腰元たちの一統を従えさせられて、ことのほかの上きげんです。
すると、これらの山車引き物の中で、四谷伝馬町の牛若と弁慶がちょうど将軍家ご座所前にさしかかったときでありました。将軍家のご上覧に供するというので、最初からこの牛若丸と弁慶の山車だけは人形でなくほんものの人間を使い、ご座所の前へさしかかったところで、それなる牛若と弁慶が五条の橋の会見を実演するという予定でしたから、ここを晴れの舞台と、弁慶は坊主頭に紅白ないまぜのねじはち巻きをいたし、ご存じの七つ道具を重たげに背負いまして、銀紙張りの薙刀《なぎなた》をこわきにかい込みながら、山車の欄干を五条橋に見たてて、息をころしころし忍びよると、髪は稚児輪《ちごわ》にまゆ墨も美しく、若衆姿のあでやかな牛若丸が、まばゆいばかりの美男ぶりで、しずしずと向こうから現われてまいりました。それがまた弁慶はとにかくとして、牛若にこしらえた者は四谷伝馬町で糸屋|業平《なりひら》といわれている大通りの若主人が扮《ふん》していたものでしたから、将軍家はそれほどでもありませんでしたが、御台さまをはじめお局《つぼね》腰元たちはことのほかその若衆ぶりが御感に入ったらしく、いっせいにためいきをついて目を細めながら、ざわざわとざわめきたちました。
だから、牛若丸の大得意はもちろんのことで、日本中の美男子を背負って立ったごとく、しずしずと屋台に姿を見せると、腰なる用意の横笛を抜きとって、型のごとくにまず音調べをいたすべく、その息穴へやおらしめりを与えました。すると、ひとなめ牛若が息穴をなめたとたんです。笛てんかんというのもおかしいですが、生まれつきのてんかん持ちででもあったか、それとも人出にのぼせたものか、稚児輪《ちごわ》姿《すがた》の牛若丸が笛にしめりを与えると同時に、突然|苦悶《くもん》のさまを現わして、水あわを吹きながら、その場に悶絶《もんぜつ》いたしました。しかも、悶絶したままで、容易に起き上がるどころか、みるみるうちに顔色が土色に変じだしたものでしたから、まず武蔵坊《むさしぼう》弁慶が先にあわてだし、つづいて屋台のはじにさし控えていた町内の者があわてだすといったぐあいで、はからずも騒ぎが大きくなりました。
だから、家光公がけげんな顔をあそばして、かたわらにさし控えていた松平伊豆守を顧みながら、不審そうに尋ねました。
「のう、伊豆、絵物語なぞによっても、牛若どのはもっと勇者のように予は心得ているが、あのように弱かったかのう。見れば、弁慶の顔を見ただけで卒倒いたしおったようじゃが、世が泰平になると、牛若どのにもにせ者が出るとみえるのう」
牛若をにせ者ときめてしまったあたりは、なかなかに家光公もしゃれ者ですが、しかし、ここが松平伊豆守の偉物たるゆえんだったのです。なにかは知らぬが、この珍事容易ならぬできごとだなということを早くも見てとりましたから、それには答えないで、さっと立ち上がると、とっさにまず身をもって家光公をかばったもので、同時にことばを強めながら、せきたてるように腰元たちへ下知を与えました。
「なに者かためにするところあって、かような珍事をひきおこしたやも計られぬ。おのおのがたは上さまをご警固まいらせ、そうそうご城中へお引き揚げなさりませい!」
命じ終わるととっさにまたかたわらをふり返って、お茶坊主をさしまねきながら、さらに知恵伊豆らしい下知を与えました。
「町方席に右門が参り合わせているはずじゃ。火急に呼んでまいれ」
人物ならば掃くほどもその辺にころがっているのに、事件|勃発《ぼっぱつ》と知ってすぐに右門を呼び招こうとしたあたりなぞは、どう見てもうれしい話ですが、より以上にもっとうれしかったことは、命をうけて茶坊主が立とうとしたそのまえに、ちゃんともう当の本人であるむっつり右門がそこにさし
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