者からも、日ごろたいへんなほめ者であったという数条だけでした。
 とすると、他人から毒殺されるほどにも恨みをうけるはずはないわけなんだから、自然ここで、右門の見込み捜査は一|頓挫《とんざ》をきたすべきでしたが、しかし、いったん手を染めたとならば、毎度申しあげたように、そんなことでおめおめとたたらを踏む右門とは右門が違います。早くもかれは、明|皎々《こうこう》とさえ渡りたること玻璃《はり》鏡《きょう》のごとき心の面に、糸屋の主人が独身であったという一条と、女の客が多すぎたという一条との二つに不審をおぼえたものでしたから、一瞬のうちにかれ一流の方法を案出いたしまして、突然伝六の意表をつきました。
「なあ、伝六。きさまにゃ女の子の知り合いはなかったっけかな」
「えっ※[#感嘆符疑問符、1−8−78] なんですって? 不意に変なことおっしゃいまして、なかったっけかなといいますと、さもあっしが醜男《ぶおとこ》のように聞こえますが、なかったら、それがいったいどうしたというんですかい」
「どうもしないさ。その若さで女の子に知り合いがないとなりゃ、口ほどにもないやつだと思ってな。これからおれは、きさまをけいべつするだけのことだよ」
「ちッ、めったなことをおっしゃいますなよ。大きにはばかりさまですね。さぞおくやしいでしょうが、女の子のひとりやふたり、ちゃんとれっきとしたやつが、あっしにだってありますよ」
「ほう、そいつあ豪儀だな。いったい、何歳ぐらいじゃ」
「うらやましくてもおこりませんね」
「おまえの女なんぞ、うらやんでもしようがないじゃないか」
「じゃ申しますがね、きいただけでもうれしいじゃござんせんか、番茶も出ばなというやつで、ことしかっきり十八ですよ」
「いっこうに初耳で、ついぞ思い当たらないが、その者はいま江戸に在住か」
「ちえッ、あきれちまうな、そりゃどうみたって小町娘というほどのべっぴんじゃござんせんからね。だんななんぞにはお目に止まりますまいし、鼻もひっかけてはくださいますまいがね。それにしたって、江戸に住んでいるかはちっとひどいじゃごわせんか。かわいそうに、ああ見えたって、あいつああっしの血を分けたたったひとりの妹ですよ」
「ああ、乃武江《のぶえ》のことか」
「ちえッ、またこれだ。ああいえばこういい、こういえばああいって、じゃなんですかい、だんなはそいつが乃武江って名まえなことは知ってるが、あっしの妹だってことはご存じなかったんですかい」
「知っているよ、知っているよ、知っていればこそいま思い出したんだが、――なんとかいったな、もう長いことどこかお大名のお屋敷奉公に上がっているとかいったけな」
「へえい、さようで。辰之口《たつのくち》向こうの遠藤様に、もう四年ごしご奉公しているんですがね。それにつけても、ねえ、だんな。血を分けたきょうだいってものは、うれしいじゃござんせんか、ついきんのうもきんのうでしたがね、わざわざ前ぶれの手紙をよこしましてね。近いうちにまたお宿下がりをもらうから、そのときあっしの好きなところてんを、うんとこさえてくれるとぬかしましたよ」
「そいつあもっけもないさいわいだ。どうだろうな、きょうくりあげて、乃武江にそのお宿下がりをもらうわけにいくまいかな」
「え? じゃなんですかい、だんなもところてんが好きなんですかい」
「食い意地の張っているやつだ。ところてんに用があるんじゃない、乃武江にちょっとないしょの用があるんだよ」
「え? ないしょのご用……? たまらねえことになったもんだね。そうれみろい。たまにゃ身内の恥もさらしてみるもんじゃねえか。あんな者でもついうわさをしたばっかりに、だんながないしょのご用とおいでなすったんじゃねえか。これがえにしになって、あのお多福がだんなの玉のこしに乗られるとなりゃ、おいらが一門の名誉というものだ。ようがす、じゃ、ひとっ走り今から呼びに行ってきますからね。ちょっくらお待ちなせえよ」
「バカだな。まてッ」
「えッ?」
「ないしょの用だからといって、すぐときさまのように気を回すやつがあるかッ。女でなくちゃ役者になれんから、ちょっと乃武江を借りるんだ」
「ははあ、なるほどね。じゃなんですね。こんどの事件《あな》の手先にでもお使いなさろうっていうんですね」
「あたりめえよ。ひとり者であったぐあい、女客の多かったぐあいから察するに、色恋からの毒殺とにらんでいるんだ」
「わかりやした、わかりやした。それだけ聞きゃ、あっしだって岡っ引きだ、あとはもうおっしゃらなくとも胸三寸ですよ。じゃ、なんですね、乃武江のやつをおとりにつかって、だれか出入りの女客をつかまえ、そいつの口から色ざたをきき出させようって寸法なんですね」
「しかり――だが、きさまのようにおしゃべり屋じゃあるまいな」
「ちえッ。
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