ったものですが、しかるにその証拠となるべき豆大黒は、彼女のまだ世にあったころからの不義の相手であった当時の用人、お家断絶後に古道具屋となってしまったあの右の小手に刀傷のあるおやじの神だなで消えてしまい、反対に日本橋の人形町で見つけてきた別のどろ大黒が、質屋の神だなに飾られだしたものでしたから、てっきり三河屋のおやじがすべてのことをかぎ知って、金の大黒を動かぬ証拠に養子を引き具して宗家へ乗り込み、新規八百石のお旗本の後見者になる魂胆だろうと早がてんしてしまったので、さっそくに今もときおりつまみ食いの相手である道具屋のおやじをそそのかして、まず少年を誘拐せしめ、しかるのち金の大黒へ因縁をつけたのです。もちろん、右門をあんなふうに酒でころして物置き小屋に閉じこめたのは、早くも事露見と知ったものでしたから、持って生まれた淫婦《いんぷ》の腕によりをかけてかようにたぶらかし、そのまに少年を引き具していちはやく新規八百石を完全に手中しようとしたからの小しばいにすぎなかったのでした。
 ねた[#「ねた」に傍点]を割ってみれば、まことに右門にとって、たわいのないような事件でしたが、しかし事件はどろ細工の金大黒とともにかくもたわいのないものではあったにしても、われわれのむっつり右門はやはり最後まで少し人と変わった愛すべく賞すべき右門でありました。
「上には、かくもご憐憫《れんびん》とご慈悲があるのに、それなる女、みずから腹を痛めし子どもを他家へつかわすとはなにごとじゃ。なれども、事はなるべくに荒だてぬが従来もわしの吟味方針じゃによって、そのうえにまた加賀守家というご名門の名にもかかわることゆえ、いっさいは穏便に取り扱ってつかわすゆえ、爾今《じこん》はせっかくご新規八百石をたいせつにいたさねばならぬぞ。したがって、それなる少年にはもうこのうえ河原乞食《かわらこじき》のまねなどをさせたり、あまりろくでもない草双紙なぞを読ませてはならぬぞ。それから、そこの古道具屋、そちはもっといかものをつかまされないように、じゅうぶん目ききの修業をいたし、ずんと家業に精を出さねばならぬぞ、最後に質屋のおやじ、そのほうはこの近藤右門をののしったばかりではなく、恐れ多くもお上一統を卑しめたと申すが、どうじゃ。ちっとはこれで右門が好きになったか。うん?――ああ、そうか。好きになればそれでよろしいによって、今後は伝六なぞの参った節も、なるべく高く融通するがよいぞ。では、いずれも下げつかわしてやるゆえ、そうそう退出いたせ。あ、待て待て、それなる青まゆの女、昨夜の酒の代はなにほどじゃ。なに、気は心じゃからいらぬと申すか。上の座にある者がさようなまいないがましいものを受けるは本意でないが、新規お取り立て祝いのふるまいとして、今回かぎり飲み捨ててつかわすによって、爾今《じこん》道なぞで会うても、予にことばなぞをかけてはあいならんぞ」
 それから立ち上がると、むっつり右門はそこの三方にのっかっていたきよめ塩をひとつまみつまみあげて、ぱッぱッと自分のからだにふりかけました。職務のためのこととはいいながら、前夜来のあだがましかった青まゆの女との不潔な酒のやりとりに、濁ったからだを浄《きよ》め潔《きよ》めるように、ばらばらとふりかけました。



底本:「右門捕物帖(一)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
   1996(平成8)年12月20日新装第7刷発行
入力:大野晋
校正:ごまごま
2000年1月5日公開
2005年6月29日修正
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