畳も敷いてない板張りで、万事万端がどう見ても、あれほど青まゆの女に思い込まれた美男子の宿るべき場所ではなかったうえに、しかも奇怪なことに、右門はたいせつな腰の物、伝六はこれもかれになくてはかなわぬ重要な朱ぶさの十手を、いつのまにか取りあげられてあったのです。それらの護身用具であり、同時にまた攻撃用具である品品をかれらの身辺から取り上げてしまったということは、いうまでもなくかれらから第一の力をそいだことにほかならないので、のみならず子細に調べてみると、その物置き小屋らしい一室の出入り口は、厳重に表から錠をかけられ、あまつさえへやの外には、見張りの者らしい人声が聞こえるのです。それも二、三人で、さようしからば、そうでござるか、というようないかついことばつきから察すると、番人はたしかに武士らしく判断されました。しかも、それらの番人の中にまじって、まぎれもなく前夜きき覚えの、あの青まゆの女の声と、そしてそれから、あの古道具屋のおやじの声があったものでしたから、ぎょっと青ざめて伝六がいいました。
「ちえッ。だから、いわねえこっちゃなかったんだ。きつねにでも化かされたのかと思いましたが、どうやら酒で殺されて、まんまとあいつらに、あっしたちがはめ込まれているんじゃごわせんか。ね! しっかりおしなせいよッ」
しかし、右門は黙ってただくすくすと笑っているのです。あれほどあびるように飲んだのに、格別ふつか酔いにやられたような顔もせず、いつもよりかそのりりしい面がやや青白いというだけのことで、くすくすとただ笑ってばかりいたものでしたから、伝六がむきになってきめつけました。
「なにがおかしいんですか! ごらんなさい! だんならしくもなく、あんなくらげのふやけたような女に目じりをおさげなすったから、刀はとられる、十手はとられる、あげくのはてにこんな物置き小屋へたたき込まれちまって、うすみっともないざまになったんじゃごわせんか! いったい、どうしてここから逃げ出すおつもりですかい!」
だのに、右門は依然くすくすと笑ったままでした。笑いながら、そしてその青白い顔を転じると、格子窓からぬか雨にけむる庭先のぬかるみに向かって、伝六の愚痴をさけるように面をそむけました。とたんに、そのとき、そこの庭先でちらりと右門の目についた異様な人影があったのです。いや、人影はただの人足らしい者でありましたから、けっして異様でも奇怪でもなかったのですが、その足にはいているわらじが、どうしたことか逆に、すなわち前後がさかしまになっていたものでしたから、はっとなったように右門はひとみを凝らしました。見ると、男はうしろに長方形の箱を背負って、ちょうどそれは子どもの寝棺のような箱でしたが、その奇妙な箱を相当重そうに背負って、上に雨よけの合羽《かっぱ》をおおいながら、いましも表へ向かって歩みだそうとしているのです。いかにもその足のわらじが不思議でありましたから、ひとみをすえてじっと耳を澄ましていると、あきらかに青まゆの女の声で命令するのが聞こえました。
「では、気をつけてね。あそこだよ」
「へい。心得ました。そのかわり、晩にはたんまりと酒手を頼んまっせ」
いうと、人足は酒手にほれたもののごとく、表へ向かって歩きだしました。返り梅雨《つゆ》で庭先はぬかるみでしたから、地上にはかれが歩くのとともに、はっきりとうしろ前をさかしまにはいているわらじの跡がついたのです。すなわち、人と足は事実表へ向かって出ていきつつあるのに、ぬかるみの地上に残された足跡は、さながら反対に表から帰ってきたように見えました。
それを知ると同時でありました。突然右門が突っ立ち上がってポキポキと指の関節を鳴らすと、さっと全身に血ぶるいをさせながら、不意に大声で意外なことを叫びました。
「いかい、ごちそうになりましたな。では、ここから帰らせていただきますぞ」
いう下から、ばりばりと腰窓の下の羽目板をはがしだしました。――実は、それが右門の人よりよけい知恵の回るところで、そんなことではけっして破れる羽目板でもなく、またそんなやわな物置き小屋でもなかったのですが、さも窓を破って逃げ出しそうなばりばりという音をたてたものでしたから、右門の誘いの手段とは知らずに、うっかりと表の番人が出入り口をあけて、あわてふためきながら顔をのぞかせたのです。とみるより早く、そのわき腹にお見舞い申したのは、なにをかくそう、わがむっつり右門が得意中の得意の、草香流やわらの秘術はあて身の一手。――また、右門から腰の物さえ取り上げておけば、それでけっこう力をそぎうると考えた愚人どもが、愚かも愚かの骨頂だったのです。伝六から十手を取り上げたはいいにしても、わがむっつり右門には剣の錣正流居合《しころせいりゅういあ》いのほかに、かく秀鋭たぐいなき敏捷《
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