》の実を、なにかのまじないででもあるかのように、一つかみずつ相手のほうへ移しあったものでしたから、伝六はむろんのことにむしゃむしゃとまだいなりずしをほおばっていましたが、右門はもうすしどころではなくなりました。きわめつけの慧眼《けいがん》によって、こいつ変なまねをしたなと思いましたから、じっと様子を見守っていると、ではおかせぎなせえよ――互いにそう言いかわしながら、ひとりは江戸の方角へ、ひとりは反対の羽生《はにゅう》街道へわかれわかれになってすたすたと足を早めだしましたので、右門はまをおかず羽生へいったほうのあとをつけだしました。
「あっ! だんな、だんな! ほんとうにあきれちまうね。旅に出てまでも、またあの癖を出すんだからね。あっしをひとりおいてきぼりにしておいて、ねずみにでも引かしてしまうつもりですかい」
 うろたえながら伝六が追ってきたのを右門はちいさな声でしかっておくと、二町ほどの間隔をおいて見えずがくれに、くだんのさるまわしをつけていきました。
 と――、いよいよどうもこのさるまわしなる旅の者が不審なのです。ちゃんと太鼓もかかえ、さるも背に負っているんですから、道々商売をかせぎそうなものなんですが、いっこうにそういうけはいはなくて、一直線にずんずんと羽生めがけてやって参りましたものでしたから、右門の秀抜きわまりなき探偵眼は、ますますさえだしました。羽生へついたのがもうかれこれ夕暮れどきで、普通ならばそこへ一宿するんですが、前をやって行く怪しのさるまわしが泊まるけはいのなかったばかりではなく、今はもうはっきりと忍のご城下をこころざして、ぐんぐんと歩度をのばしだしたものでしたから、事態はいよいよ不審、右門もわらじにしめりを与えて、ひたすらにあとをつけました。忍の城下へようようにたどりついたのは、ぬんめりとくもり空の五つ少しまえ、いずれにしても様子のわかるのはもう一息でしたから、勢いこんで城下の町へまっすぐにはいろうとすると――。
「まてッ」
 不意に、やみの左右からそういう声です。同時に、ばらばらっと両三人が行く手を立ちふさぎましたものでしたから、右門もおもわず体をひらいて尺八に片手をかけようとすると、龕燈《がんどう》がぎらりと光って、底力のある声がつづいて横から聞こえました。
「役儀によって面を改める。その天蓋《てんがい》をおとりめされよッ」
 課役の藩士だなとわかりましたから、しずかに天蓋をはねあげると、相手は深々と御用龕燈をつきつけて、しげしげ右門の顔をのぞき込んでいましたが、がらりそのことばが変わりました。
「どうやら、ご人相が伊豆守様おことばに生き写しでござりまするが、もしやご貴殿は江戸からおこしの近藤右門どのではござらぬか」
「いかにも、さようにござる」
「やっばり、ご貴殿でござったか! 実は、殿さまがかようにお申されましてな。右門のことゆえ、察するに姿を変えて、わざわざ羽生回りをしてくるにちがいあるまいから、それとのう出迎えいたせと、かようにお申されましたのでな。かくは失礼も顧みず、人体改めをしたのでござる」
 明知はよく明知を知るというべきで、さすが伊豆守は知恵伊豆といわれるだけがものはあり、よくも右門の変装と回り道をにらんだものですが、しかし右門はそのことよりも、今つけてきた怪しのさるまわしが気になったものでしたから、急いでやみの向こうを見透かすと、あっ! おもわず声をあげてせき込みながら、ご番士たちに尋ねました。
「いましがた、たしかにここをさるまわしが通りすぎたはずでござるが、お気づきではござりませなんだか!」
「えっ!?[#「!?」は横一列]」
 おどろいたようにぎょっとなって、番士たちがいっせいに左右を見まわしたときでした。
「ちッ、いてえい! おう、いてえい!」
 つい七、八間向こうのやみの中で突然悲鳴をあげた者がありましたので、すかさずに駆けつけていってみると、意外にも悲鳴の主は伝六で、いつそこへやっていって、いつのまにそんなことをされたものか、両手の甲をばらがきにされながら、くやしそうにつっ立っていましたものでしたから、右門はすぐにそれと気づいてたたみかけました。
「逃がしちまったか!」
「え、このとおり。あいつ、ちっとばかしくせえやつだなと思いましたんでね。なにかは知らぬがしょっぴいていってやろうと思って、せっかくえり首をつかまえたんですが、さるのやつめが手の甲をひっかきむしったそのすきに、逃げうせちまったんでげすよ」
「なるほど、血がにじんでいるな。しかし、それにしても、あいつをしょっぴいていこうと気がついたなあ、さすがおめえも江戸の岡《おか》っ引《ぴ》きだな。そのおてがらに免じて、逃げたものならほっとくさ。いずれ二、三日うちに、またあいつにもお目にかかるような筋になるだろうからな。――いや、これはこれは、どうもとんだお手間をとらせました。さぞかし伊豆守様お待ちかねにござりましょうから、ではご案内くださりませい」
 何が何やら解しかねるといったおももちで、ぽかんとそこに番士たちが待ちあぐんでいましたものでしたから、右門は改まって声をかけると、城中への案内を促しました。

     2

 石高はわずか三万石の小藩ではありましたが、さすがは天下の執権松平伊豆守の居城だけあって、とわに栄える松の緑は夜目にもそれと青み、水は満々と外濠《そとぼり》内濠の兵備の深さを示して、下馬門、二の門、内の門と見付け見付けの張り番もきびしく、内外ともに水ももらさぬ厳重な警備でした。むろん、伊豆守はことごとくお待ちかねでしたので、右門参着と聞くやただちにご寝所へ通して、刻下に人払いを命ずると、すわるもおそしと声をかけました。
「遠路のところわざわざ呼びだていたして、きのどくじゃった。そちのことであるゆえ、重大事とにらんで参ったことであろうが、実は少しばかり奇っ怪なできごとが突発いたしよってな」
 思いに余ったもののごとく、すぐと事件の内容に触れてこられましたものでしたから、右門も相手が大徳川の顕職にあることも忘れて、ひざをすすめながらざっくばらんに尋ねました。
「なにかは存じませぬが、その奇っ怪事とやらは、殿さまご帰国ののちに起こったのでござりまするか、それとも以前からあったのでござりまするか」
「それがわしの帰国と同時に起こりよったのでな、不審にたえかね、そうそうにそのほうを呼び招いたのじゃわ」
「といたしますると、何かご帰国に関係があるようにも思われまするが、いったいどのような事件にござります?」
「一口に申さば、つじ切りなのじゃ」
「つじ切り……? つじ切りと申しますると、いくらでも世の中にためしのあることでござりますゆえ、別段事変わっているようには思われませぬが、なんぞ奇怪な節でもがござりまするか」
「大ありなのじゃ。難に会うた者は、奇怪なことに、いずれも予が家中での腕っききばかりでの、最初の晩にやられた者は西口流やわらの達人、次の晩は小太刀《こだち》の指南役、三日めは家中きってのつかい手が、一夜に三人までもやられたのじゃ。しかも、それらが、――」
「一|太刀《たち》でぱっさりと袈裟掛《けさが》けにでもされたのでござりまするか」
「いや、ぱっさりはぱっさりなんじゃが、奇怪なことには、どれもこれもが一様にみんなそろって右腕ばかりを切りとられたんじゃから、ちっとばかりいぶかしいつじ切りではないか」
「なるほど、少し不思議でござりまするな」
 口では少し不思議でござりまするなというにはいいましたが、右門はしかしそのとき、心の中でいささか失望を感じました。家中の者の腕っききばかりをねらって、その右腕をのみ切り取るという点は、いかにも不思議に思えば思えないこともありませんでしたが、なにしろたくさんある流儀のことでしたから、考えようによれば剣法の中にだって右腕ばかりを切るというような一派が全然ないとは保証できなかったからです。かりに一歩を譲って、そういうような流儀がなかったにしても、剣士によってずいぶんと右小手のみを得意とするつかい手がないとは断言できないんですから、むやみと奇怪がるのも少々考えもので、してみれば何か江戸と連絡のある犯罪ではあるまいかなぞと先っ走りをして考えたことも全然の思いすごしであり、したがってわざわざ羽生街道を迂回《うかい》したことも、久喜の茶店からご苦労さまにさるまわしのあとをつけてきたことも、今となってはとんだお笑いぐさとしか考えられなくなったものでしたから、右門はその二つの理由からして、大いに失望を感じないわけにはいかなくなりました。
「なるほど、奇怪でござりまするな。奇怪と考えれば奇怪に考えられぬわけもござりませぬな」
 少し不平がましい口つきで、皮肉ととれば皮肉ともとられるようなつぶやきを、うわのそらでそんなふうにくり返していましたが、そのときしかし、右門の心鏡は、突如ぴかり――と例のように裏側からさえ渡ってまいりました。しばしば申しあげましたかれ独特の見込み捜索、すなわちあのからめての戦法なんで、まてよ、そうかんたんに失望するのはまだ早すぎるぞ、と思いつきましたもんでしたから、ふいっと顔をあげると、遠くからまじまじ伊豆守のおもてを穴のあくほど見つめました。見ているうちに、かれの緻密《ちみつ》このうえもなき明知は利刃のごとくにさえ渡って、犯行のあった土地が徳川宿老のご城下であるという点と、さながらその犯行が伊豆守の帰藩を待つようにして突発したというその二つの点に、ふと大きな疑問がわいてまいりましたものでしたから、右門は猪突《ちょとつ》にことばをかけました。
「ぶしつけなお尋ねにござりまするが、お多忙なおからだをもちまして、なにゆえまた殿さまはかように突然ご帰国なさったのでござりまするか」
「えっ? 帰国の理由……?」
 と――どうしたことか、不意に伊豆守が不思議なほどな狼狽《ろうばい》の色を見せて、右門の鋭い凝視をあわててさけながら、濁すともなくことばを濁されましたので、あれかこれかと心の中にその理由についての推断を下していましたが、まもなくはッと思い当たったものがありましたから、右門は突然にやにやと微笑すると、ずぼしをさすよういいました。
「上さまは――将軍さまは、この二、三年とんと日光ご社参を仰せいだしになりませぬが、もうそろそろことしあたりがご順年でござりまするな」
「そ、そ、そうのう。そういえば、もう仰せいだしになるころじゃのう……」
 案の定、ずぼしが命中したか、日光ご社参と聞くと伊豆守の顔色にいっそうの狼狽が見えましたので、もうこうなれば右門の独擅場《どくせんじょう》でした。いつも公表するのが例であるご社参を、なにがゆえに今回にかぎりかくも厳秘に付しているか、まずその点についての見込みをつけて、しかるうえに伊豆守の突然な帰国の事実と、同時のように突発したこの事件とを結びつけて推断したなら、おそらく二日とたたないうちに下手人の摘発ができるだろうという自信がついたものでしたから、右門はもうまことに余裕しゃくしゃくたるもので、少しとぼけながら、伊豆守にいいました。
「旅であう春の夜というものは、また格別でござりまするな。では、もうおいとまをちょうだいしとうござりまするが、よろしゅうござりまするか」
「お! そうか! ならば、もう確信がついたと申すんじゃな」
「ご賢察にまかしとう存じまする」
「では、何もこれ以上申さなくとも、そちにはわしの胸中にある秘事も、見込みも、ついたのじゃな」
「はっ。万事は胸にござります。なれども、わたくしが捜査に従うということは、なるべく厳秘に願わしゅうござります」
「そうか。それきいて、松平伊豆やっと安堵《あんど》いたした。では、今後の捜査なぞについて不自由があってはならぬゆえ、この手札をそちにつかわそう。遠慮なく持ってまいれ」
 さし出された手札を見ると、この者の命令は予が命令と思うべし、松平伊豆守――と大きく書かれてあったものでしたから、まったくもう右門は鬼に金棒で、躍然としながら城中を辞し去りました。出ると、これもつるの一声
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