香入りの練り炭が小笠原流《おがさわらりゅう》にほどよくいけられ、今は、ただもうそのお来客と城主伊豆守のご入来を待つばかりでした。
と――警蹕《けいひつ》の声とともに、家臣たちがひらめのごとく土下座している中を、伊豆守とおぼしき人が先頭で、うしろに一見高貴と見ゆるおんかたを導きながら、しずしずと東亭へおなりになりました。そして、今おんふたかたがおしとねにつかれようとしたとき! 突如、真に突如、意外な大珍事がそこに持ち上がりました。床が没落したのです! がばッ! という大音響とともに、堅固なるべきはずの東亭の床が、めりめりとおんふたかたをのせたままで、突然地の中へ没落してしまったのです。
「わあッ! 一大事! 一大事! 将軍家と伊豆守様とのお命をちぢめまいらした不敵なくせ者がござりまするぞッ。それッ。おのおの、ぬかりたまうな! 城内要所要所の配備におんつきそうらえ!」
すわ、事おこりしと見えましたので、家老とおぼしき者の叫びとともに、どッと城中が騒乱のちまたに化そうとしたとき――だが、そこへいま没落した床の下の抜け穴らしいところから、ぬうと現われてきたひとりの怪しき男の姿があったのです。手に手にともしたあかりのまばゆい光でよくよく見ると、これは意外! その男こそはだれあろう、あの老人の怪しきさるまわしでした。四日まえの晩からお城下の羽生街道口に陣取って、怪しの別なさるまわしから椎の実をうけとり、かき消すように姿をかくしたあの老人のさるまわしでした。
「それッ、あいつだ! くせ者はあの者だ! めしとれ! めしとれッ」
むろん、下手人はそれにちがいないことがわかりましたので、さっと左右から家臣の者が迫ろうとすると、しかし意外! さらに意外! 老人の曲がった腰はまずしゃっきりと若者のごとくに伸び直り、そして悠揚《ゆうよう》とそこの泉水で面を洗うと、りりしくもくっきりとした美丈夫の姿と変わったのです。と同時でした。たち騒いでいる人々の中から鉄砲玉のように飛んできて、すがりつくようにいった声がありました。
「おっ? おいらのだんなじゃごわせんか! 右門のだんなじゃごわせんか! よくまあ、よくまあ生きていてくれましたね。あっしゃ、てっきりあのつじ切りのやつに殺されたと思いましてね、だから、もう、このとおり、このとおり――ああ、ちくしょう、うれしくて泣けやがるなあ! 泣けやがる
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