夫をかいま見ては、ちいさな胸もおののかずにはおかれなかったのでしたか、伝六を見たときはちっとも異状を現わさなかったその顔に、ぱっといちめんのもみじを散らして、ことばもとぎれがちにうつむいてしまいましたので、右門は少し微笑をみせながら、はじらいを救ってやるようにやわらかく尋ねました。
「わかりました、わかりました。なんでござりまするな。伊豆様からのおいいつけで、お越しなされたのでござりますな」
「はっ……なにかといろいろご不自由もござりましょうゆえ、旅の宿のつれづれなぞをお慰めに参れとかようにお申されましたので、ふつつかながら参じましてござります……」
「それはお奇特なこと。お名まえはなんと申されまするか」
「ゆみ――あの、弓と申しまする……」
「ほほう、お弓様と申されまするか、いちだんとよいお名まえでござりまするな。さいわい、わたくしめは白羽|矢之助《やのすけ》と申しますゆえ、弓に白羽の矢では、ちょうどよい取り合わせでござりまするな」
珍しくむっつり右門が浮かれ屋右門になって、そんな冗談をいっていましたが、しかし、かれのまなこはそういう間にも絶えず小娘の身辺に鋭くそそがれ、その耳はまた絶えずなにものかを探るように表のほうに傾けられたままでした。
と――夜陰にこもって、おりからちょうど、ごうんごうんと、遠寺のときの鐘です。数えると、まさに九ツ! 同時に、右門の態度ががらり変わりました。
「さ! 伝六! ひとかせぎしような」
突然鋭く言いすてると、不意にすっくと立ち上がったものでしたから、こちこちになっていた伝六は、はじめて毒気が抜けたようにお株を取りもどして、すっかり生地のままの伝六となりました。
「まただんなの病気が始まりましたね。きょう来てきょう着いたというのに、突然人聞きのわるいことおっしゃいまして、ご金蔵でも破るんじゃあるまいし、ひとかせぎたあなんですか」
しかし、右門は凛然《りんぜん》として、もはやむっつり右門にかえり、江戸から用意の雪駄《せった》をうがち、天蓋《てんがい》を深々と面におおい、腰には尺八をただ一つおとし差しにしたままで、すうと表のやみの中へ、吸われるように歩きだしたものでしたから、ようやく伝六もそれと察しがついたものか、朱ぶさの十手をこっそりとふところに忍ばせて、すぐあとから同じ虚無僧姿をやみの中へ包ませてしまいました。
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