から、おもわず伝六が正気でげすかいと念を押したのも無理からぬことでしたが、すると右門はいよいよ意外でした。
「この天気ならば、辰巳《たつみ》の方角がよいじゃろう。三、四匹ひっかけに、深川あたりへでも参るかな」
 さらにいきなことを言いながら、やおらのっそりと立ち上がると、どてらを小格子双子《こごうしふたご》の渋い素袷《すあわせ》に召し替えて、きゅっきゅっとてぎわよく一本どっこをしごきながら、例の蝋色鞘《ろいろざや》を音もなく腰にしたので、伝六はすっかり額をたたいてしまいました。
「ちえっ、ありがてえな。だから、憎まれ口もきくもんさね。おいらのだんなにかぎって女の子の話なんざ耳を貸すめえて思ってましたが、急に目色をお変えなすったところをみると、その辰巳《たつみ》とやらにはさだめしお目あてがござんしょうね」
 しかし、右門はいかにも伝六の額をたたいて喜んだとおりりゅうとした身なりを整え、まちがいもなく表へやってまいるにはまいりましたが、出がけにふと庭すみの物置きへ立ち寄ると、袋入りのつりざおにすすけきった魚籃《びく》を片手にさげながら、ゆうゆうと現われてまいりましたものでしたから、いま額を
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