としゃべりかけました。
「おや、だんな、物がいえますね」
おしでもない者に物がいえますねもないものですがむっつり屋であると同時に年に似合わず胆がすわっていましたから、普通ならば腹のたつベきはずな伝六の暴言を気にもかけずに、右門は静かにくだんの町人へ尋問を始めました。
「係り係りと申しておったようじゃが、願い筋はどんなことじゃ」
苦み走った男ぶりの、見るからにたのもしげな近藤右門が、だれも耳をかしてくれない中から、親しげに声を掛けたので、町人はすがりつくようにして、すぐと事件を訴えました。
「実は、今ちょっとまえに、三百両という大金をすられたんでござんす……」
「なに、三百両……! うち見たところ職人渡世でもしていそうな身分がらじゃが、そちがまたどこでそのような大金を手中いたしてまいった」
「それが実は富くじに当たったんでがしてな。お目がねどおり、あっしゃ畳屋の渡り職人ですが、かせぎ残りのこづかいが二分ばかりあったんで、ちょうどきょう湯島の天神さまに富くじのお開帳があったをさいわい、ひとつ金星をぶち当てるべえと思って、起きぬけにやっていったんでがす。ことしの正月、浅草の観音さまで金運きたるっていうおみくじが出たんで、福が来るかなと思っていると、それがだんな、神信心はしておくものですが、ほんとうにあっしへ金運が参りましてな、みごとに三百両という金星をぶち当てたんでがすよ。だから、あっしが有頂天になってすぐ小料理屋へ駆けつけたって、なにも不思議はねえじゃごわせんか」
「だれも不思議だと申しちゃいない。それからいかがいたした」
「いかがいたすもなにもねえんでがす。なにしろ、三百両といや、あっしらにゃ二度と拝めねえ大金ですからね。いい心持ちでふところにしながら、とんとんとはしごを上って、おい、ねえさん、中ぐしで一本たのむよっていいますと……」
「中ぐしというと、うなぎ屋だな」
「へえい、家はきたねえが天神下ではちょっとおつな小料理屋で、玉岸っていう看板なんです」
「すられたというのは、そこの帰り道か」
「いいえ、それがどうもけったいじゃごわせんか、ねえさんが帳場へおあつらえを通しにおりていきましたんでね、このすきにもう一度山吹き色を拝もうと思って、そっとふところから汗ばんで暖かくなっている三百両の切りもち包みを取り出そうとすると、ねえ、だんな、そんなバカなことが、今どきいったいありますものかね」
「いかがいたした」
「あっしの頭の上に、なにか雲のようなものが突然ふうわりと舞い下がりましてね、それっきりあっしゃ眠らされてしまったんですよ」
「なに、眠らされた?」
その一語をきくと同時に、むっつり右門の苦み走った面には、さっと血の色がわき上がりました。これがまたどうして色めきたたずにいられましょうぞ! 現在同僚たちが色を失って右往左往と立ち騒いでいる長助殺しの事件の裏にも、坂上親子の陳述によれば、同じその眠りの術が施されていましたので、右門の面はただに血の色がわき上がったばかりではなく、その両眼はにわかに異様な輝きを帯びてまいりました。心をはずませてひざをのり出すと、たたみかけて尋ねました。
「事実ならばいかにも奇怪じゃが、その眠りというのは、どんなもようじゃった」
「まるで穴の中へでもひきずり込まれるような眠けでござんした」
「で、金はその間に紛失いたしておったというんじゃな」
「へえい、さようで……ですから、目のくり玉をでんぐらかえして、すぐと数寄屋橋《すきやばし》のお奉行所へ駆け込み訴訟をしたんですが、なんでございますか、お役人はあちらにもご当番のかたが五、六人ばかりいらっしゃいましたのに、きょうは骨休みじゃとか申されて、いっこうにお取り上げがなかったんで、こちらまで飛んでめえりましたんでござんす」
「よし、あいわかった、普通なら、そんな事件、手下の者にでも任すのがご法だが、少しく思い当たる節があるから、てまえがじきじきに取り扱ってつかわす。念のために、そのほうの所番地を申し置いてまいれ」
おどり上がって町人が所番地を言い置きながら引き下がったので、むっつり右門はここにはじめて敢然と奮い立ちました。まことにそれは、敢然として奮い立つということばが、いちばん適切な形容でありました。なぜかならば、多くの場合その種の変わり者がとかく世間からバカにされがちであるように、右門もこれまであまりにも珍しすぎる黙り屋であったために、同僚たちから生来の愚か者と解釈されて、ことごとに小バカにされながら、ついぞ今まで一度たりとも、ろくな事件をあてがわれたことはなかったからです。けれども、今こそ千載一遇の時節が到来したのです。右門は血ぶるいしながら立ち上がりました。もちろん、その間にも同僚たちはわいわいとわけもなく騒ぎたって、われこそ一番がけに長助殺しの犯人をひっくくろうと、お組屋敷は上を下への混雑でありましたが、しかし右門は目をくれようともしませんでした。二つの事件に必ず連絡があるとにらみましたので、あるとすれば、犯罪のやり口からいって一筋なわではいかない犯人に相違あるまいとめぼしをつけたので、将を射んとする者ほまず馬を射よのたとえに従って、三百両事件を先にほじってみようと思いたちました。立てばいうまでもなくもうあだ名のむっつり右門です。
「急にきつねつきのような形相をなさって、どこへ行くんですか、だんな!」
おしゃべり屋の伝六があたふたとあとを追っかけながら、しつこく話しかけたのにことばもくれず、右門はさっきの町人がいった湯島の玉岸という小料理屋目がけて、さっさと歩みを運びました。
2
行ってみると、なるほど家の構えはこぎたないが、この界隈《かいわい》の名物とみえて、店先はいっぱいのお客でありました。右門はべちゃくちゃとさえずっている岡っ引きの伝六をあとに従えて、ずいと中へはいっていきました。
古い物は付けにも目の高いものは、やり手ばばあに料理屋のあるじとうまいことをうがってありますが、玉岸のおやじも小料理屋ながらいっばしの亭主でありました。
「これはこれは、八丁堀のだんながたでいらっしゃいますか」
一瞬にして目がきいたものか、もみ手をしいしい板場から顔を出して、すぐと奥まった一室へ茶タバコ盆とともに案内したので、右門はただちに町人の三百両事件を切り出しました。むろん、事の当然な結果として小料理屋それ自体に三分の疑いがかかっていたので、伝六にはその間に屋作りをぬけめなく調べさせ、右門みずからは亭主の挙動にじゅうぶんの注意を放ちました。けれども、亭主は事件は知ってはいたが、その下手人についてはさらに心当たりがないというのです。町人が上がったころにどんなお客が二階へ上がっていたかも記憶がないというので、伝六の探索を延ばしたほうも同様に手がかりは皆無でした。わずかに残された探索として希望をつなぎうるものは、事件の前後に受け持ちとして出ていった小婢《こおんな》があるばかり――。
で、さっそくにその婢を呼んで、むっつり屋の右門がきわめていろけのないことばつきで、当時のもようをきき正しました。と――手がかりらしいものがわずかに一つあがったのです。それは一個の駒《こま》でありました。馬の駒ではない将棋の駒で、それも王将。婢のいうには、あの町人の三百両紛失事件が降ってわいたそのあとに、右の将棋の駒がおっこちていたというのでありました。巨細《こさい》によく調べてみると、まず第一に目についたものは、相当使い古したものらしいにかかわらず、少しの手あかも見えないで、ぴかぴかと手入れのいいみがきがかけられてあったことでした。それから、材料は上等の桑の木で、彫りはむろん漆彫り、しりをかえしてみると『凌英《りょうえい》』という二字が見えるのです。
「凌英とな……聞いたような名まえだな」
思いながらしばらく考えているうちに、右門ははたとひざを打ちました。そのころ駒彫《こまぼ》りの名人として将棋さしの間に江戸随一と評判されていた、書家の凌英であることに思い当たったからでした。してみると、むろん一組み一両以上の品物で、木口なぞの上等な点といい、手入れのいいぐあいといい、この駒の持ち主はひとかどの将棋さし――少なくもずぶのしろうとではないことが、当然の結果として首肯されました。
「よしッ。存外こいつあ早くねた[#「ねた」に傍点]があがるかもしれんぞ!」
こうなればまったくもう疾風迅雷《しっぷうじんらい》です。右門は探索の方針についてなによりの手づるを拾いえたので、前途に輝かしい光明を認めながら、ご苦労ともきのどくだったともなんともいわずに、例のごとく黙念としながら、ぷいと表へ出ていくと、即座に伝六に命じました。
「きさま、これから凌英という駒彫り師の家をつきとめろ! つきとめたら、この駒をみせてな、いつごろ彫ったものか、だれに売ったやつだか、心当たりをきいて、買い主がわかったらしょっぴいてこい。わからなきゃ、江戸じゅうのくろうと将棋さしをかたっぱし洗って、どいつの持ち物だか調べるんだ!」
「え? だんなにゃまったくあきれちまいますね。やぶからぼうに変なことおっしゃって、何がいったいどうなったっていうんです?」
わからない場合には、江戸じゅうの将棋さしをかたっぱし洗えといったんですから、伝六がめんくらったのも、無理もないでしょう。しかし、右門のことばには確信がありました。
「文句はあとでいいから、早くしろい!」
「だって、だんな、江戸じゅうの将棋さしを調べる段になると、ちっとやそっとの人数じゃごわせんぜ。有段者だけでも五十人や百人じゃききますまいからね」
「だから、先に凌英っていう彫り師に当たってみろといってるんじゃねえか」
「じゃ、三月かかっても、半年かかってもいいんですね」
「バカ! きょうから三日以内にあげちまえ!」
「だって、江戸を回るだけでも三里四方はありますぜ」
「うるせえやつだな。回りきれねえと思ったら、駕籠《かご》で飛ばしゃいいんじゃねえか」
「ちえっ、ありがてえ! おい、駕籠屋!」
官費と聞いて喜びながら、ちょうどそこへ来合わしたつじ駕籠を呼びとめてひらり伝六が飛び乗ったので、右門はただちに数奇屋橋の奉行所へやって行きました。もちろん、奉行所ももうそのときは色めきたって、非番の面々までがどやどやと詰めかけながら、いずれもが長助殺しの犯人捜査に夢中でありました。しかし、同役たちの等しく選んだ捜査方針は、申し合わせたようにみんな常識捜査でありました。すなわち、第一にまずかれらは、当日見物席に来合わしていた一般観客に当たりました。坂上親子に似通った親子連れのものが見物の中に居合わさなかったか、だれか疑わしい人物の楽屋裏に出入りしたものを見かけなかったか――というような常識的の事実から捜索の歩を進めていたのでした。それから、最後の最も重大な探索方針として、かれらは等しく与力次席の坂上親子に疑いをかけていたのです。
けれども、右門の捜査方針は、全然それとは正反対でありました。あくまでも見込み捜査で、疾風迅雷的に殺された本人――岡っ引き長助の閲歴を洗いたてました。いずれ遺恨あっての刃傷《にんじょう》に相違なく、遺恨としたらどういう方面の人物から恨みを買っているか、その間のいきさつを調べました。
しかし、残念なことに、その結果はいっこう平凡なものばかりだったのです。判明した材料というのは次の三つで、第一は長助が十八貫めもあった大兵肥満《たいひょうひまん》の男だったということ、第二はまえにもいったように葛飾《かつしか》在の草|相撲《ずもう》上がりであったということ、それから第三は非業の死をとげた三日ほどまえにその職務に従い、牛込の藁店《わらだな》でだんなばくちを検挙したということでありました。しいて材料にするとするなら、最後のそのだんなばくちの検挙があるっきりです。
で、かれは念のためにと思って、お奉行所《ぶぎょうしょ》の調書について、そのときの吟味始末を調査にかかりました。と――まことに奇怪、検挙事実は歴然として人々の口に伝
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