の八月に同心となってこのかた、いまだにただの一口も口をきかないというのですから、むしろおしの右門とでもいったほうが至当なくらいでした。だから、かれはきょうの催しがあっても、むろん最初から見物席のすみに小さくなっていて、そのあだ名のとおりしじゅう黙り屋の本性を発揮していたのでした。
 けれども、口をきかないからといってかれに耳がなかったわけではないのですから、町人の必死なわめき声が人々の頭を越えて、はからずもかれのところへ届きました。その届いたことが右門の幸運に恵まれていた瑞祥《ずいしょう》で、また世の中で幸運というようなものは、とかく右門のような変わり者の手の中へひとりでにころがり込んできたがるものですが、何か尋常でないできごとが起きたな――という考えがふと心をかすめ去ったものでしたから、むっつり屋の右門が珍しく近づいていって、破天荒にも自分から声をかけました。
「目色を変えてなにごとじゃ」
 そばにいてそれを聞いたのが、右門の手下の岡っ引き伝六です。変わり者には変わり者の手下がついているもので、伝六はまた右門とは反対のおしゃべり屋でしたから、右門が口をきいたのに目を丸くしながら、すぐ
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