によりますが、だから見るからにほれぼれとする鈴江の妓生が出てくると、見物席からは待っていましたとばかりに、わっと拍手が起こりました。
「よおう、ご両人!」
「しっぽりと頼みますぜ!」
 なぞとたいへんな騒ぎで、場内はもうわきかえるばかり――。
 その中を長いキセルでぽかりぽかりと悠長《ゆうちょう》な煙を吐きながら、変わり種の清正が美人の妓生とぬれ場をひとしきり演ずるというのですから、ずいぶんと人を食った清正というべきですが、それよりももっと見物をあっといわした珍趣向は、そのぬれごとのせりふが全部朝鮮語であるということでした。むろん、でたらめの朝鮮語ではありますが、ともかくも、日本語でないことばでいろごとをしようというのですから、かりにも江戸一円の警察権を預かっている八丁堀のおだんながたがくふうした趣向にしては、まことに変わった思いつきというべきでした。
 舞台はとんとんと進んで、ふたたび長助の虎が現われる、鈴江の妓生がきゃっと朝鮮語で悲鳴をあげる、それからあとは話に伝わる清正のとおりで、やおら三つまたの長槍《ながやり》を手にかいぐり出したとみるまに、岡っ引き長助の虎はたった一突きで清正に突き伏せられてしまいました。それがまたまことに真に迫ったしぐさばかりで、どういう仕掛けがあったものか、清正の長槍からべっとりと生血がしたたり、縫いぐるみの朝鮮虎がほんとうにビクビクと手足を痙攣《けいれん》させだしたのですから、見物席はおもわずわっとばかりに拍手を浴びせかけました。
 ところが――実はその拍手の雨が注がれていた中で、世にも奇怪なできごとがおぞましくもそこに突発していたのです。いつまでたっても虎が起き上がらないので、いぶかしく思いながら近よってみると、清正の長槍に生血のしたたったのもまことに道理、虎の死に方が真に迫ったもまことに道理、岡っ引きの長助はほんとうにそこで突き伏せられていたのでした。
「わっ! たいへんだ! 死んでるぞ! 死んでるぞ!」
 なにがたいへんだといって、世の中におしばいの殺され役がほんとうに殺されていたら、これほど大事件はまたとありますまいが、あわてて縫いぐるみをほどいてみると、長助はぐさりと一突き脾腹《ひばら》をやられてすでにまったくこと切れていたので、いっせいに人たちの口からは驚きの声が上がりました。同時に気がついて見まわすと、まことに奇怪とも奇怪! 血を吸った長槍はそこに投げ出されてありましたが、いつ消えてなくなったものか、いるべきはずの清正と妓生の姿が見えないのです。
 事件は当然のごとく騒ぎを増していきました。むろん、もうこうなればお花見の無礼講どころではないので、遺恨あっての刃傷《にんじょう》か、あやまっての刃傷か、いずれにしても問題となるのは槍を使った清正にありましたから、そこに居合わした六、七人の同役たちが血相変えて、舞台裏に飛んではいりました。こととしだいによったら、与力次席の重職にある坂上与一郎といえどもその分にはすておかぬというような力みかたで――。
 しかし、事実はいっそう奇怪から奇怪へ続いていたのです。坂上与一郎もその娘の鈴江も、舞台裏にいるにはいましたが、まことに奇怪、いま清正と妓生に扮したはずの親子が、それぞれじゅばん一つのみじめな姿で、厳重なさるぐつわをはめられながら、高手小手にくくしあげられていたのでしたから、血相変えて駆け込んでいった一同は等しく目をみはりました。しかも、親子の口をそろえていった陳述はいよいよ奇怪で、なんでもかれらのいうところによると、扮装をこらして舞台へ出ようとしたとき、突然引き入れられるように眠りにおそわれてそのまま気を失い、気がついたときはもうじゅばん一つにされたあとで、そのまま今までそこにくくしあげられていたというのでありました。事実としたら、何者か犯人はふたりでこれを計画的に行ない、まず坂上親子を眠らしておいて、しかるのち巧みに清正と妓生に化けて舞台に立っていたことになるのですから、場所がらが場所がらだけに、奇怪の雲は、いっそう濃厚になりました。いずれにしてもまず場内の出入り口を固めろというので、そこはお手のものの商売でしたから、厳重な出入り禁止がただちに施されることになりました。
 と、ちょうどそのとたんです。
「お願いでござります! お願いの者でござります……」
 必死の声をふり絞りながら、その騒ぎの中へ、鉄砲玉のように表から駆け込んできたひとりの町人がありました。
 四十がらみの年配で渡り職人とでもいった風体――声はふるえ、目は血走っていましたから、察するに本人としては何か重大事件にでも出会っているらしく思われましたが、何をいうにも騒ぎのまっさいちゅうです。だれひとり耳をかそうとした者がありませんでしたので、町人は泣きだしそうにしてまたわめきた
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