わっているのに、公儀お調べ書にはその顛末《てんまつ》が記録されてなかったのです。
「臭いな」
 と思うには思いましたが、しかし何をいうにも検挙に当たった長助本人がすでにこの世の人でなかったから、疑惑の雲がかかりながら、それ以上その事件を探求することは不可能でありました。とすれば、もはや残る希望は伝六の報告を待つ以外になかったので、右門はお組屋敷へ引き下がると、じっくり腰をすえながら、その帰来を待ちわぴました。
 やがて、その三日め――首を長くして待っていると、ふうふういいながら伝六が帰ってまいりましたので、右門はすぐに尋ねました。
「どうだ、なにかねた[#「ねた」に傍点]があがったろう」
「ところが、大違い――」
「ええ、大違い?」
 目算が狂いましたから、右門もぎくりとなって問いかえしました。
「じゃ、まるっきりめぼしがつかないんだな」
「さようで――おっしゃったとおり、まず第一に凌英っていう彫り師を当たったんですがね。ところが、その凌英先生が、あいにくなことに、去年の八月水におぼれておっ死《ち》んでしまったっていうんだから、最初の星が第一発に目算はずれでさ。でも、ここが奉公のしどころと思いましたからね。あの駒《こま》の片割れを持って、およそ将棋さしという将棋さしは、看板のあがっている者もいない者も、しらみつぶしに当たってみたんですよ。ところが、そいつがまた目算はずれでしょ。だから、今度は方面を変えて、駒を売っている店という店は残らず回ったんですが、最後にその望みの綱もみごとに切れちまったんでね、このとおり一貫めばかり肉をへらして、すごすごと帰ってきたところなんです」
 さすがの右門も、その報告にはすっかり力をおとしてしまいました。せっかくこんないい手がかりを持っているのにと思いましたが、人力をもっていかんともしがたいとあっては、やむをえないことでありました。このうえは、時日をあせらずゆっくりと構え、二つの材料、すなわち駒の所有者と、疑惑のまま残されている長助の検挙したというだんなばくちの一味が、どんな人物たちであるかをつき止める以外には方法がなかったので、まず英気でも養っておこうと思いたちながら、ぷらり近所の町湯へ出かけました。

     3

 と――右門がまだお湯屋のざくろ口を完全にはいりきらないときでした。
「だんな! だんな! また変なことが一つ持ち上がりましたぜ」
 息せき切りながら伝六があとから追っかけてきたので、右門はちょっといろめきたちながら耳をかしました。
「ね、柳原の土手先に、四、五日まえからおかしな人さらいが出るそうですぜ」
「人さらい? だれから聞いた」
「組屋敷のだんながたがたったいま奉行所から帰ってきてのうわさ話をちらり耳に入れたんですがね。いましがた訴えた者があったんだそうで、なんでもそれが夜の九つ時分に決まって出るんだそうだがね。おかしいことは、申し合わせたようにお侍ばかりをさらうっていうんですよ」
「じゃ、徒党でも組んだ連中なんだな」
「ところが、その人さらい相手はたったひとりだというから、ふにおちないじゃごわせんか。そのうえに、正真正銘足がなくて、ちっとも姿を見せないっていうんだから、場所がらが場所がらだけに、幽霊だろうなんていってますぜ。でなきゃ、こもをかかえたお嬢さん――」
「なんだ、そのこもをかかえたお嬢さんてやつは……」
「知れたことじゃありませんか。つじ君ですよ。夜鷹《よたか》ですよ」
「なるほどな」
 はだかのままでしばらく考えていましたが、突如! 真に突如、右門の眼はふたた烱々《けいけい》と輝きを帯びてまいりました。また、輝きだすのも道理です。いうがごとくに、たったひとりの力で侍ばかりをさらっていくとするなら、少なくもその下手人は人力以上の、まことに幽霊ではあるまいかと思えるほどのなにものか異常な力を持ち備えている者でなければならないはずだからです。とするなら――右門の心にふとわき上がったものは、あの同じ眠りの秘術、長助の場合にも、三百両紛失の場合にも、等しく符節を合わしているあの奇怪な眠りの術でありました。
「よし! いいことを知らしてくれた。ご苦労だが、きさまひとっ走り柳原までいって、もっと詳しいことをあげてきてくれ!」
 とぎれた手がかりにほのぼのとしてまた一道の光明がさしてきたので、右門は口早に伝六へ命じました。
 お湯もそうそうに上がって心をはずませながら待っていると、伝六は宙を飛んで駆けかえってまいりました。けれども、宙を飛んで帰りはしたが、そのことばつきには不平の色が満ちていたのです。
「ちえッ、だんなの気早にゃ少しあきれましたね。くたびれもうけでしたよ」
「うそか」
「いいえ、人さらいは出るでしょうがね、あの近所の者ではひとりも現場を見たものがないっていい
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