らの曇り空は、かえって人さらいの下手人をおぴき出すにはおあつらえ向きのおぼろやみです。
「伝六、どうやらおれの芽が吹いて出そうだぞ」
息をころして遠くからおでん屋台の張り番をしていた伝六のそばへうずくまると、右門は小声でささやきながら、いまかいまかと刻限のふけるのを待ちました。
と、案の定、もうつじ君たちの群れも姿を消してしまった九つ近い真夜中どき――おでん屋は店をしまって車を引きながら、河岸《かし》を土手に沿って、みくら橋のほうへやって参りました。前後して、顔の包みをとった右門が、わざと千鳥足を見せながら、そのあとをつけました。とたん、侍姿の右門に気がついたとみえて、ふっとおでん屋台のあかりが消されました。同時に、ことりとなにか取り出したらしい物音は、たしかにあのけこみの中へ秘めかくしておいた玉乗りの黒い玉です――右門はかくし持っている御用|龕燈《がんどう》をしっかりと握りしめました。間をおかないで、ふわふわと、さながら幽霊ででもあるように、玉に乗りながらおぼろやみの中から近よってきたものは、紛れもなくさっきの美人です。そら、眠りの術が始まるぞ! と思って龕燈を用意していると、それとも知らずに、予想どおり、いとも奇怪な一道の妖気《ようき》が、突如右門の身辺にそくそくとおそいかかりました。
「バカ者!」
とたんに、右門がわれ鐘のような大声で大喝《たいかつ》したのと、ちかり龕燈のあかりをその鼻先へ不意につきつけたのと同時でした。術は老雲斎先生のことばどおり、うれしくも破れました。
「あっ!」
といって、いま一度術を施し直そうとしたときは、一瞬早くむっつり右門の草香流|柔術《やわら》の逆腕が相手の右手をさかしらにうしろへねじあげていたときでした。同時に、片手で右門は相手の胸をさぐりました。――しかるに、やはり乳がないのです。右門とても年は若いのですから、むしろあってくれたほうが、その点からいったっていいくらいのものだが、やはり乳はないのです。
「バカ者め! 女に化けたってべっぴんに見えるほどの器量よしなら、若衆になっていたってべっぴんのはずじゃねえか。さ、大またにとっとと歩け!」
女でなかったことがべつに腹がたったというわけではなかったのですが、なにかしら少し惜しいように思いましたので、右門はそんなふうにしかりつけました。
――いうまでもなく、そのおでん屋の
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