さわると同じようにその相談でもちきりのありさまでした。毎年三月の十日というのがその定例日――無礼講ですから余興はもとより付きもので、毎年判で押したように行なわれるものがまず第一に能狂言、それから次はかくし芸、それらの余興物がことごとく、平生市民たちから、いわゆるこわいおじさんとして恐れられてる八丁堀のだんながたによって催されるのですから、まことに見もの中の見ものといわなければなりませんが、ことにことしは干支《えと》の戊寅《つちのえとら》にちなんで清正《きよまさ》の虎《とら》退治を出すというので、組屋敷中の者はもちろんのこと、うわさを耳に入れた市中の者までがたいへんな評判でした。
 六日からその準備にかかって、九日がその総ざらい、一夜あくればいよいよご定例のその十日です。上戸は酒とさかなの買い出しに、下戸はのり巻き、みたらし、はぎのもちと、それぞれあすのお弁当をととのえて、夜のあけるのを待ちました。
 と――定例の十日の朝はまちがいなく参りましたが、あいにくとその日は朝から雨もよいです。名のとおりの春雨で、降ったりやんだりの気違い天気――けれども、ほかの職業にある人たちとは違って、許された公休日というのは天にも地にもその日一日しかないのですから、雨にかまわず催し物を進行させてゆきました。呼び物の虎退治をやりだしたのがお昼近い九つまえで、清正に扮《ふん》するはずの者は与力次席の重職にあった坂上与一郎という人物。縫いぐるみの虎になったのは岡っ引きの長助という相撲《すもう》上がりの太った男でした。
 お約束のようにヒュードロドロと下座がはいると、上手のささやぶがはげしくゆれて、のそりのそりと出てきたものは、岡っ引き長助の扮している朝鮮虎です。それが、いったん引つ込むと、代わって出てきたのが清正公で、しかしその清正公が少しばかり趣の変わった清正でありました。とんがり兜《かぶと》もあごひげも得物の槍《やり》の三つまたも扮装《ふんそう》は絵にある清正と同じでしたが、こっけいなことに、その清正は朝鮮タバコの長いキセルを口にくわえて、しかもうしろにはひとりの連れがありました。連れというのはなにをかくそう朝鮮の妓生《キーサン》で、実はその出し物が当日の呼び物になったというのも、その妓生が現われるのと、それから妓生に扮する者が、当時組屋敷小町と評判された坂上与一郎のまな娘鈴江であったから
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