ていう彫り師に当たってみろといってるんじゃねえか」
「じゃ、三月かかっても、半年かかってもいいんですね」
「バカ! きょうから三日以内にあげちまえ!」
「だって、江戸を回るだけでも三里四方はありますぜ」
「うるせえやつだな。回りきれねえと思ったら、駕籠《かご》で飛ばしゃいいんじゃねえか」
「ちえっ、ありがてえ! おい、駕籠屋!」
 官費と聞いて喜びながら、ちょうどそこへ来合わしたつじ駕籠を呼びとめてひらり伝六が飛び乗ったので、右門はただちに数奇屋橋の奉行所へやって行きました。もちろん、奉行所ももうそのときは色めきたって、非番の面々までがどやどやと詰めかけながら、いずれもが長助殺しの犯人捜査に夢中でありました。しかし、同役たちの等しく選んだ捜査方針は、申し合わせたようにみんな常識捜査でありました。すなわち、第一にまずかれらは、当日見物席に来合わしていた一般観客に当たりました。坂上親子に似通った親子連れのものが見物の中に居合わさなかったか、だれか疑わしい人物の楽屋裏に出入りしたものを見かけなかったか――というような常識的の事実から捜索の歩を進めていたのでした。それから、最後の最も重大な探索方針として、かれらは等しく与力次席の坂上親子に疑いをかけていたのです。
 けれども、右門の捜査方針は、全然それとは正反対でありました。あくまでも見込み捜査で、疾風迅雷的に殺された本人――岡っ引き長助の閲歴を洗いたてました。いずれ遺恨あっての刃傷《にんじょう》に相違なく、遺恨としたらどういう方面の人物から恨みを買っているか、その間のいきさつを調べました。
 しかし、残念なことに、その結果はいっこう平凡なものばかりだったのです。判明した材料というのは次の三つで、第一は長助が十八貫めもあった大兵肥満《たいひょうひまん》の男だったということ、第二はまえにもいったように葛飾《かつしか》在の草|相撲《ずもう》上がりであったということ、それから第三は非業の死をとげた三日ほどまえにその職務に従い、牛込の藁店《わらだな》でだんなばくちを検挙したということでありました。しいて材料にするとするなら、最後のそのだんなばくちの検挙があるっきりです。
 で、かれは念のためにと思って、お奉行所《ぶぎょうしょ》の調書について、そのときの吟味始末を調査にかかりました。と――まことに奇怪、検挙事実は歴然として人々の口に伝
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