、しかしあのように力強くなく寧ろ諦めきったすがすがしさで、夕ぐれ近い高原の叢に、夏のはじめから夏のなかばまで日ごとのつとめとしてひらく花である。ゆうすげという名を或るひとから習った。そのあと植物学ぶ人から萱草、わすれぐさ、きすげと習い、また時経てその花びらを食用にすることまでも習った。私は習いおぼえたかぎりを田中一三に教えた。
 きょう私は最初にその花を教えてくれたひとに向って愚痴を繰返すことを情ない慰さめとして持っている。この誹謗もまたその輪のほかを出られない。恥を知るまえに、ただ私はさびしい。私はいまもあんなにありありと心に帰るあの高原のイメージのために頬を濡らした。

 夏の逝くころ、私はゆえもなく紀の国の外側の輪廓を海岸や浪の上を辿りいちばん慌しくめぐった。信濃路ではすでにそのころ秋雨のようなものが降っていたのに、私のめぐった線は明るく白じらしく晴れていた。帰るさ、私は伊良湖岬に杉浦明平を訪ねた。すると、杉浦明平が僕にゆうすげの花を岩かげに教えるような運命になっていた。信濃路を別れて十日あまり、明るい海光に曝されつづけた私の眼に、おなじ名の花とおもえない、みすぼらしいみじめな花の姿が強いられた。田中一三に私が教えたようには杉浦明平が私に教えるわけはなかった。その花は橙色に近い黄の花びらを一枚一枚ずうずうしい位に厚ぼったくふくらませ、一茎に幾花もむらがっていた。
 私の持つふたつのゆうすげの絵は一体どうなることだろうか。互にあらがうであろう。そして、どちらかは跡方なく消えるであろう。



底本:「日本の名随筆18・ 夏」作品社
   1984(昭和59)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「立原道造全集 第三巻」角川書店
   1971(昭和46)年8月
入力:砂場清隆
校正:菅野朋子
2000年7月28日公開
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