集会所に一番適したところであるかどうか。かりに適したところであるとしても、それをみんなに諮《はか》らないで、文庫だけを先に運んでしまうのはどういうものだろうか。彼はそんなふうに考えて、急には返事が出来なかったのである。
朝倉先生も、何かちょっと思案していたが、
「君、白鳥会は何とかしてつづけていってくれるだろうね。」
「それはむろんです。」
「しかし、君も、もう間もなく卒業だね。」
「ええ。」
次郎は心細そうに答えた。
「君や、新賀、梅本がいる間は大丈夫だと思うが、四年以下の会員は、まだ何といっても、ほんとうの気持をつかんでいないので、来年あたりからのことを考えると、何だか心もとなくなるね。」
朝倉先生にしてはめずらしく沈んだ調子だった。次郎は返事をしないで、かすかなため息をついた。
「それで私は、誰か私に代って世話をやいてくれる人がほしいと思っているんだ。」
「そうしていただくと、僕たちも心強いんです。しかし、そんな先生がありましょうか。」
「学校の先生にはない。しかし、先生でなくてもいいわけだ。いや、先生でない方が却っていいんだよ。一つの学校に籍《せき》を置いている先生が中心になると、どうしても会員がその学校の生徒だけに限られることになるからね。」
次郎は、けげんそうな眼をして、朝倉先生を見た。
「実は、私は、これまでほかの学校の生徒たちにも加わってもらいたかったんだ。単に学生ばかりではない。仂いている一般の青年たちにも加わってもらったら、君たちのためにもどんなにいいだろう、と、いつもそう考えていた。身分とか、階級とか、職業とか、所属の団体とか、そういったものを一切超越して、いろんな種類の人たちが、人間として真剣にぶっつかりあう。そんなところまで行かなくちゃあ、白鳥会も本ものではないからね。しかし、そこまでは私も手がのびなかったんだ。手がのびなかったというのは、各方面にまじめな青年を求める機会がなかったというのではない。まじな青年は幾人も見つかったし、誘いこんでもみたさ。しかし誘いこまれる方では、やはり中学の先生と生徒の集まりだ、という先入観があるものだから、つい尻ごみしてしまうのだ。で、私はこの機会に、どこの学校にも直接関係のない人にお世話を願ったらと思っている。」
「しかし、先生のあとをついでやろうというほどの自信のある人がありましょうか。」
「自分でそんな自信があると名乗って出る人はまさかあるまい。しかし、もし私がこの人ならはと信じて頼んだとしたら、君らはその人を中心に気持よく白鳥会をつづけて行けるかね。」
「そりゃ行けますとも。そうなればみんなもきっと喜ぶでしょう。」
「もしその人が君のお父さんだとしたら?」
「え?」
「私は、君のお父さんに君たちの文庫をおあずけすると同時に、ぜひそのこともお願いしたいと思っているんだよ。」
「そんなこと、駄目です。父は承知しません。僕も不賛成です。」
次郎は何も考える余裕がないほど狼狽《ろうばい》していた。で、ほとんど反射的にそんな言葉が彼の口からつぎつぎに爆発したのである。
朝倉先生は、微笑しながら、
「君はお父さんをそんなに信用しないのかね。」
「だって、父は人を教えた経験なんかまるでないんです。本もそう沢山は読んでいないんです。」
「問題は教育者としての経験じゃない。本を読んで得た知識なんかじゃ無論ない。大事なのは人間だよ。」
「だって、……」
「君はお父さんを人間として信用しているはずだと思うが……」
「そりゃあ、……そりゃあ信用しています。」
次郎はどぎまぎして答えた。
「じゃあ、君が不賛成をとなえる理由はないよ。」
「僕、しかし、あんまり突飛《とっぴ》だと思います。」
「ちっとも突飛じゃあない。これほどあたりまえのことはないよ。」
「でも、みんなに笑われます。」
「君は君自身のお父さんだということにこだわっているからいけない。第三者として考えてみれば何でもないよ。新賀や梅本はきっと喜ぶだろうと思うね。……二人とも君のお父さんを知っているんだろう。」
「ええ、知ってはいます。」
次郎は、気乗りのしない返事をしながら、これまでに二人が何度も父にあい、そのたびごとにいい印象をうけたらしく、次郎に対してしばしば彼らの羨望の気持をもらしたことを思いおこしていた。
「とにかく私にまかしておくさ。間もなくお父さんも見えるだろう。」
「今日、父が来るんですか。」
「来ていただくようにお約束がしてあるんだ。」
ちょうど廊下に足音がきこえたが、それは奥さんが帰って来たのだった。次郎を見ると、
「あら、いらっしゃい。おひとり? お父さんはどうなすって? ごいっしょではありませんでしたの?」
「僕、学校のかえりなんです。」
「あら、そう。」
と、奥さんは朝倉先生の方を向い
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